今も広がり続ける『さらば冬のかもめ』のDNA
また『さらば冬のかもめ』の傑出としてよく語られるのが、主演トリオのバランスの良さだ。1974年の第27回カンヌ国際映画祭で男優賞に輝いたバダスキー役のジャック・ニコルソン(1937年生まれ、当時36歳)は、まさにニューシネマを象徴するスターのひとり。『イージーライダー』のアル中弁護士ハンソン、『ファイブ・イージ-・ピーセス』(70/監督:ボブ・ラフェルソン)の浮遊する青年ボビーを経て、『さらば冬のかもめ』で体現した「管理システム下での自由な魂」は、精神科病院を舞台にした『カッコーの巣の上で』(75/監督:ミロス・フォアマン)の主人公マクマーフィー役での名演へと繋がっていく。
マルホール役のオーティス・ヤング(1932年生まれ、当時41歳)はブロードウェイで活躍していた俳優で、『さらば冬のかもめ』が映画での出世作となった。メドウズ役のランディ・クエイド(1950年生まれ、当時23歳)は『ラスト・ショー』(71/監督:ピーター・ボグダノヴィッチ)で映画デビューした若手で、同年73年にはやはりボグダノヴィッチ監督の『ペーパームーン』にも出演している。彼にとってもメドウズ役が決定的な当たり役となったが、この役をオーディションで最後まで競ったのが、あのジョン・トラヴォルタであることも有名だ。ちなみにこのトリオは身長のバランスも絶妙で、ニコルソンは177cm、ヤングは188cm、そしてクエイドは196cmの長身である。
『さらば冬のかもめ』(c)Photofest / Getty Images
この3人組の魅力に取り憑かれた監督には、例えばリチャード・リンクレイターがいる。彼はダリル・ポニクサンが2005年に発表した小説『Last Flag Flying』(最後の軍旗掲揚)を、2017年に『30年後の同窓会』として映画化。これは『さらば冬のかもめ』の直接の続編ではないが、イラク戦争が始まった2003年に元海兵隊の仲間が30年ぶりに再会し、ノーフォークからポーツマスまで『さらば冬のかもめ』と同じ旅の行程を辿っていく。実は当初リンクレイターは、ジャック・ニコルソンやランディ・クエイドを出演させて実際に続編を企画していたようだが、オーティス・ヤングが2001年に69歳で死去していることもあり、それは実現しなかった。結局、ブライアン・クランストン、ローレンス・フィッシュバーン、スティーヴ・カレルの3人が別のキャラクターとして起用されたが、フィッシュバーン演じるミューラーがマルホールと同じく脚が悪くて、今では杖をついていたりと、確実に『さらば冬のかもめ』のイメージを随所に引き継いでいる。
そして『さらば冬のかもめ』の「軍隊」を「学校」に替えたのが、アレクサンダー・ペイン監督の『ホールドオーバーズ』という風に言えるわけだ(本当に真似たようなアイススケートのシーンまで出てくるのには笑ってしまった)。またペインは、今作でハル・アシュビーへの敬愛を全面的に押し出しており、『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』(71)で音楽を務めたキャット・スティーヴンスの楽曲も使用している(『ホールドオーバーズ』で流れるのは1971年の名盤『ティーザー・アンド・ファイアキャット』の冒頭を飾る名曲「The Wind」)。
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』予告
1929年生まれのハル・アシュビーはニューシネマ時代の華やかな成功とは裏腹に、私生活の波乱も知られ、後年はキャリアも低迷して心身を壊して引きこもりがちになっていった。1988年に59歳の若さで逝去したが、しかし彼を支持し、多大な影響を受けた後続の映画監督は数多い。ショーン・ペンの初監督作『インディアン・ランナー』(91)も雪景色が印象的な傑作だが、当時亡くなったばかりのジョン・カサヴェテス(1989年没)とアシュビーに捧げられていた。元々ペンはアシュビーに監督してもらおうと自らのオリジナル脚本を持ち込んでいたのだ。そして今回の『ホールドオーバーズ』がまた新たにエッセンスを受け継ぐ。『さらば冬のかもめ』並びにアシュビーの遺したDNAは、現在も世に広がり続けているのである。
映画評論家、ライター。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「キネマ旬報」「シネマトゥデイ」「Numero.jp」「Safari Online」などで定期的に執筆中。YouTubeチャンネル「活弁シネマ倶楽部」でMC担当。
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