生態観察と仮想の“旅”
『ナミビアの砂漠』はときにストーリーの進行を無視するようにカナの“生態”を記録していく。すぐにお腹が空いてしまうカナは、冷蔵庫の中から食べられるものを探す。部屋でアイスを食べるカナに向けて不意にカメラがズームする。本作においてズーミングはストーリーを語る上でのアクセントではなく、むしろカナの瞳の動き、肌の温度を含む“生態”を捉えることに貢献しているように見える。カメラがカナ=河合優実とダンスしているような感覚がある。カナの動きは予測不能であり、ときに挑発的だ。その微細な動きをカメラは逃さない。そしてカナはまるで野良猫のように見える。
しかしプライベートとは正反対に、美容脱毛の職場におけるカナは無菌状態であるかのように過剰な清潔さに溢れている。真っ白な壁を背景に脱毛レーザーを手にするカナは、ほとんどSF空間の登場人物のようだ。山中瑶子監督は東京的な雑踏の風景から少しずつカナの居場所を逸脱させていく。特にフリーズ・フレームによるタイトルクレジットをアクセントとするその後の数シーンで、カナは日本の風景というよりもアジア的、不思議なことにややエスニックとも思える風景の中に溶け込んでいく。ボーイフレンドのハヤシ(金子大地)の家族と会うバーベキューのシーンには、日本にいながら異国の地に来たような奇妙な感覚がある。カナの鼻ピアスと衣装の色が、自然の風景との相乗効果をあげている。仮想の異国への脱出。その意味で本作は“旅”を描かずに“旅”を描いているといえる。この仮想的な空間移動の“旅”には、カナのスマホに“ナミビアの砂漠”が映っている手掛かりのようなものがある。
『ナミビアの砂漠』©2024『ナミビアの砂漠』製作委員会
カメラがカナを観察しているのと同じように、カナも対面する人物のことをよく観察している。ボーイフレンドのホンダ(寛一郎)が跪いてカナに謝るシーンにおける彼女の挑発的な瞳の動きには、“ゲーム”を楽しむ者の意地の悪さがある。自由奔放で自傷的にも見えるカナは決して非常識な人物ではない。常識のない人だと思われたくないとさえ言っている。カナには社会的な体裁を保つだけの能力は十二分に備わっている。とはいえそれはカナをひどく疲弊させている要因でもある。カナは原因と結果の間にあるものを掴めず、悪循環を繰り返しているように見える。カナのことを他人事であるだとか、ましてやモンスターのようには思えない理由がここにある。河合優実はカナというキャラクターに爆発的と思えるほどの命を吹き込んでいる!