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『ビバ!マリア』二大スターの共演、“アンファンテリブル”としてのブリジット・バルドー

©1965 Nouvelles Editions de Films NEF (France) / Vides (Italie)

『ビバ!マリア』二大スターの共演、“アンファンテリブル”としてのブリジット・バルドー

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“アンファンテリブル”としてのブリジット・バルドー



 セレブリティと大衆文化への批評ともいえる本人主演の伝記映画『私生活』(62)において、ヒロインの結末は悲劇だった。『ビバ!マリア』は『私生活』と同様にスターダムを描いている。ステージで踊る二人のマリーは、この地域にとってのセレブリティになる。二人の人気と共にステージは大きくなり、会場の外にはファンが詰めかけている。『私生活』やアンリ=ジョルジュ・クルーゾー『真実』(60)、ジャン=リュック・ゴダール『軽蔑』(63)といった、ブリジット・バルドーが俳優として評価された作品にあった悲劇性から、ルイ・マルは彼女を解放している。


 ブリジット・バルドーは伝統的な家庭に生まれたが、両親にはボヘミアンの気質があったという。父親は実業家であり詩人、母親はファッションやバレエの世界に通じていた。彼女は『ビバ!マリア』のメキシコ撮影に父親を招待している。アナーキストの娘という設定であり、ジャンヌ・モロー演じる旅芸人のマリーの相方となり、無邪気に爆弾に火を点け投げる姿は、ブリジット・バルドーのボヘミアン気質や生来とも思える反抗心と見事に調和している。並外れた天真爛漫さ。いわば“アンファンテリブル(恐るべき子供)”を内に秘めたブリジット・バルドーがここにいる。


 エレガントで情熱家なジャンヌ・モローと無邪気な破壊者ブリジット・バルドーという組み合わせは成功している。旅芸人のマリー=ジャンヌ・モローが、マリー=ブリジット・バルドーにメイクを教えるシーンがある。マリー=ジャンヌ・モローにとってメイクは、男性の観客から見られるという恐怖を隠すためだという。しかしマリー=ブリジット・バルドーは初めから男性のことを恐れていない。


 二人のマリーが権力者への抗議のため結束するシーンがある。並んで横に立つ二人がカメラ目線で権力者を“見つめ返す”シーンの威力は尋常ではない。二人は男性権力者の暴力的な視線に対して隠れるのではなく、黙って“見つめ返す”という反撃にでる。相手の喉元にナイフを突きつけるのと同様の威力を、二人の視線が放っている。二人のマリーは統合され、再び分裂する。権力者はどちらがどちらなのか分からなくなり狼狽する。二人のスターによる抵抗の視線。視線の鋭さが権力や欲望を粉々に破壊していく。ここにはそれしかない。それだけで充分なのだ。スターの輝きに屈服する。つまりとても映画的なのである。この幻想的で鋭利な刃物のような威力を持ったシーンを見るだけでも、『ビバ!マリア』を見る価値はある。どうやったって道徳や権力は彼女たちに勝ち目がないのだ。スターの輝きとスクリーンの威力。その原理を知る者だけがこう叫ぶ。「ビバ・マリア!ビバ・ジャンヌ!ビバ・ブリジット!」と。


*1 「ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB」 ブリジット・バルドー著・渡辺隆司訳(早川書房)

*2 「Brigitte Bardot and Lolita Syndrome」 Simone de Beauvoir



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。




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『ビバ!マリア』

「ブリジット・バルドー レトロスペクティヴ -BB生誕90年祭-」

新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開中

©1965 Nouvelles Editions de Films NEF (France) / Vides (Italie)

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