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『阿修羅のごとく』家族の呪いを笑って吹き飛ばす、四姉妹の有為転変ホームドラマ

『阿修羅のごとく』家族の呪いを笑って吹き飛ばす、四姉妹の有為転変ホームドラマ

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より力強く、より逞しく



 『阿修羅のごとく』は、ホームドラマというには、あまりにもヘビーな内容だ。70歳になる父親に愛人がいることが発覚し、母親は愛人宅の近くで倒れて帰らぬ人となり、巻子の夫・鷹男(本木雅弘)には不倫疑惑が持ち上がり、咲子の夫となった陣内(藤原季節)は植物状態になってしまう(そして彼の母親は、仲間たちと一心不乱に南無阿弥陀仏を唱えている)。


 長澤まさみ演じる次女と恋人がベッドで横たわるシーンで幕を開け、幾度となく葬式の場面が挿入される『海街diary』には、エロスとタナトスが充満していた。だが『阿修羅のごとく』は、全編にわたってカース(呪い)に覆われている。もし監督が『ミッドサマー』(19)のアリ・アスターだったら、家族の呪い系ホラー映画になること間違いなし。


 そんな不穏な空気を振り払うかのように、NHKドラマ版では、トルコ軍楽隊の行進曲「ジェッディン・デデン」がひっきりなしに流れていた。中外製薬や住宅総合メーカーのCMにも使われていたから、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。まるで新装開店を宣伝するチンドン屋が演奏しているような、能天気なメロディー。チーフディレクターだった和田勉が、トルコ訪問の際に録音した音源をそのまま使用したというエピソードは、今でも語り草だ。


 軍楽隊の行進曲なのだから当然といえば当然なのだが、「祖先も、祖父も、同世代も、父も。我ら英雄的なトルコ民族。その勇名は幾度も世界に轟く」という歌詞は、軍隊主義的・父権主義的な匂いが濃厚。「ジェッディン・デデン」を何度もインサートさせることで、旧態依然とした昭和的思想、男女の不均衡なパワーバランスが顕在化され、それと同時に、チャルメラのような狂騒的サウンドが、地獄のような状況を女性たちが笑って乗り越えていくことを暗示させる。その音楽演出は、非常に理知的でモダンだった。



Netflixシリーズ『阿修羅のごとく』


 リメイク版の制作にあたって、是枝裕和はさらに現代的なアップデートを施す。四姉妹をより力強く、より逞しく、家父長制におもねることのないキャラクターへと更新したのだ。印象的なのはエンディング・タイトル。女たちは絶叫しながらモノを投げ(咲子だけはボクシング・グローブを振り回す)、男たちは目を丸くしてオロオロするばかり。


 モノを投げるーーーそれは母親のふじ(松坂慶子)が、夫・恒太郎(國村隼)が不倫相手の息子に与えたであろうミニカーを見つけて、襖に投げつける場面とシンクロする。母は決して夫に不倫を問い詰めなかった。だがその娘たちは、母の哀しみと怒りを代弁するかのように、そして長いあいだ父権主義に組み敷かれていた女性たちを代表するかのように、男たちに反撃する。


 特に、NHK版では八千草薫が演じていた次女・巻子は、尾野真千子が役柄にありったけのタフネスを吹き込むことによって、より能動的・主体的なキャラクターへと変貌している。それによって、NHK版の緒形拳(パート2では露口茂)よりも、今回の鷹男役・本木雅弘は格段に「尻に敷かれている夫」感がマシマシに。


 是枝版『阿修羅のごとく』は、向田脚本の全体図には手をつけず、キャラクターのパワーバランスをちょっとだけ調整することで、現代的なホームドラマにアップデートされているのだ。




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