どう語るかではなく、どう描くか
個人ワークからチームワークへ。我が国にも、同じような変遷を辿ったアニメーション作家がいる。新海誠監督だ。
彼はゲーム会社に勤務する傍ら、たったひとり半年をかけて短編『彼女と彼女の猫』(99)を制作。職業作家になるために会社を辞め、監督・脚本・制作・編集のほか、オリジナル版では自ら声優も務めた25分の中編アニメ『ほしのこえ』(02)を発表。その後は『秒速5センチメートル』(07)や『言の葉の庭』(13)といった話題作を作り続け、『君の名は。』(16)で一躍ヒットメーカーとして認知される。
かつての新海作品は、明らかに世界が閉じられていた。地球規模のクライシスが発動しても、少年少女たちのアオハルデイズにピントが当てられ、自己内省的な物語に耽溺していた。半径数十メートルがこの世界の全てで、その向こう側には他者しか存在しない。
そして、これまでにない予算と人員が投入された『君の名は。』で、物語は一気に“開いた世界”へと跳躍する。それは社会化と言い換えてもいい。個人から集団へ、さらに大きな集団へとプロジェクトが巨大化することで、セカイを捉える視座が劇的に変化したのである。制作体制とテーマの変遷という意味では、ジルバロディス作品と重なる部分が大きい。
しかし、新海誠が鬱屈した感情や孤独をセリフ(テキスト)に仮託するのに対して、ギンツ・ジルバロディスは抽象的な映像表現で補完する。できるだけカットを割らず、滑らかで躍動的なカメラワークを駆使するスタイルは、非常にシネマティックだ。『ぼくの伯父さん』(58)や『プレイタイム』(67)などで知られるジャック・タチの映画や、宮崎駿が手がけたテレビアニメ『未来少年コナン』(78)を参考作品として挙げているのは、映像としての純粋なアクションを追求した表れといえる。ストーリーをどう語るかではなく、どう描くか。それがジルバロディスのメソッドなのである。
『Flow』©Dream Well Studio, Sacrebleu Productions & Take Five.
今後、彼の作品はどのような変化を遂げていくのだろうか。そのヒントが、彼のインタビューに残されている。
「猫は、水に対する恐怖と、他の生き物に心を開くことという、2つの大きな恐怖を受け入れることを学ぶ、受け入れの旅をしている。カピバラは、変化しない唯一の動物だ。一種の指導者のような存在で、すべてを把握している。私の憧れのキャラクターだよ。私は犬が好きで、猫のように考えたりもするが、もし選べるなら、リラックスして人生を楽しむことができるカピバラがいい」(*5)
「水に対する恐怖」(=創作活動にあたってのプレッシャー、潜在的恐怖)を受け入れ、「他の生き物に心を開く恐怖」(=集団作業に対する恐怖)を受け入れたならば、ジルバロディスの作品はもっと穏やかで、もっと泰然自若とした作品になるのではないだろうか…まるで達観したカピバラのように。
30歳になったばかりのラトビアの若者が、これからどんな歴史を積み重ねていくのか、期待を抱いて待ちたい。
(*1)https://x.com/flow_movie0314/status/1896808480616652908
(*2)https://www.nytimes.com/2025/02/12/movies/gints-zilbalodis-interview-flow.html
(*3)(*4)『Flow』公式プレスシート
(*5)https://ceeanimation.eu/news/ceea-talks-gints-zilbalodis-about-flow-id-prefer-to-be-a-capybara/
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
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配給:ファインフィルムズ
©Dream Well Studio, Sacrebleu Productions & Take Five.