2025.06.16
散りばめられた色の実験
そのあとの描写も、だいぶ奇妙奇天烈である。ウォーカーは、リースと一緒に逃亡した妻リン(シャロン・アッカー)の居所を突き止め、彼女のマンションへと向かう。長い空港の廊下を歩く彼の足音が規則的なリズムを刻み、リンの日常生活のシークエンスとカットバックされる。寝室にある鏡張りのクローゼットから服を選んだり、下まつ毛をメイクをする彼女の顔が鏡越しに覗いたり、美容院では無限鏡のように彼女の姿が何人も映し出されたり。鏡、鏡、鏡。リンは、鏡のなかに閉じ込められた存在=逃げ道のない存在として現れる。
夫を裏切ってリースと逃亡していた彼女は、ずっと罪の意識にさいなまれていた。その顔は蝋人形のように無表情で、生気はどこにも感じられない。「私を殺して」「これが報いなのね」と悔恨の言葉を口にし、薬を飲んで自ら命を絶ってしまう…。だが、不思議なのはここから。ベッドに横たわっていたはずの死体は、再びウォーカーが寝室に戻ると、きれいさっぱり消えているのだ。
ウォーカーが幽霊と化した復讐者であるように、リンもはじめからこの世にいない存在だったのだろうか。謎演出はまだまだ続く。その直後、ウォーカーはキャビネットにあった瓶を誤って落とす。洗面台一面に、赤や緑の液体が渦巻く。サイケデリックな色彩感覚、認知が歪むアシッド・トリップ感。つまり、我々はずっと幻覚を見させられていたのだ。この映画では、ヴィヴィッドな色彩が非現実感を生成する。
『殺しの分け前/ポイント・ブランク』©2025 WBEI
「アイザック・ニュートンが書いた素晴らしい本『光学』を幼い頃に読んで、私に大きな影響を与えた」(*2)と語っているくらい、ジョン・ブアマンは色に対して強いこだわりを持っていた。アラン・レネ監督の『二十四時間の情事』(59)や『去年マリエンバートで』(61)を彷彿とさせる、時間の失調感覚がこの作品のキモだが、色の演出もそれに負けないくらいクセが強い。さまざまな色が流動体のように広がるサイケデリック演出のあとは、単色でシーン全体を染め上げるという実験が行われている。
犯罪組織のボス・カーター(ロイド・ボックナ―)のオフィスは、椅子もソファも全面グリーンで、着ているスーツも緑系。真っ黄色の望遠鏡でリースがいる部屋を覗くシーンでは、リンの妹クリス(アンジー・ディキンソン)が黄色いドレスに身を包み、ウォーカーも同系色のシャツとネクタイをしている。
極端に散りばめられた色の実験によって、無機的なロサンゼルスの街並みが浮かび上がる。黄泉の国からやってきたウォーカーが復讐を果たす場所は、モダニズム建築が立ち並ぶ、色のない世界でなくてはならない。当初この映画はサンフランシスコで撮影される予定だったが、ジョン・ブアマンは映像的なトーンにそぐわないことを理由に、ロサンゼルスに変更している。
「(サンフランシスコ)はソフトでロマンティック、パステル調の色合いで、とても美しい場所だったが、私が映画に求めていたものとは正反対だった。私はこの作品の舞台を、硬くて、冷たくて、ある意味で未来的なものにしたかった。空虚で、無菌の世界が欲しかったんだ」(*3)