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『4匹の蝿』ダリオ・アルジェントの実生活を引き写したかのような、鮮血の悪夢
『4匹の蝿』あらすじ
ロックバンドのドラマー、ロベルトは黒いハットの男に付きまとわれていた。ある晩、限界に達したロベルトは男に詰め寄るも、揉み合いの末に誤って彼を殺害。その現場を覆面を被った謎の人物に撮影されてしまう。やがて脅迫電話がロベルトを襲い、彼の周りでは不可解な殺人事件が起こり始める。
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理屈をタンクローリーのように踏み潰す
多少の辻褄より、目の快楽。いつだってダリオ・アルジェントのやりすぎ演出は、オーディエンスの心をあっという間に掴んでしまう。70年代前半に発表した3本の初期作品…いわゆる「動物3部作」(タイトルに動物の名が含まれていることからそのような呼称となった)のラストを飾る『4匹の蝿』(71)でも、ケレン味たっぷりな監督術は絶好調だ。
例えば、主人公のロベルト(マイケル・ブランドン)が一心不乱にドラムを叩くオープニング。真俯瞰から、真横から、彼のスティック捌きが映し出される。ふっと音が消え去り、現れる「4 mosche di velluto grigio」というイタリア語のタイトルクレジット。その横には、なぜかドクドクと脈打つ心臓。
観客の頭の中で、「なぜ心臓?」というクエスチョンマークが点滅するなか、画面は再び激しいドラミングに切り替わる。ふと、後ろを振り返るロベルト。そこには、見るからに怪しいフェドラハットのグラサン男が佇んでいる。一体彼は何者なのか?そして、またも唐突にインサートされる心臓(本日二度目)。
曲はキーボード、ギター、ベースを交えて熱を増していく。やがて望遠鏡で覗いたかのように、バンドの面々が円で囲まれる不思議なカットが出現。次第にピントが手前に合っていくと、そこには5本の弦。それをかき鳴らす指。ギターのサウンドホール(共鳴音を外に伝えるための穴)の中から人物を捉えるという、常人には思いつかないエキセントリックな構図だ。
バンドの練習を終えて街へ繰り出したロベルトは、そこでも謎のグラサン男を発見。明らかに彼をストーキングしている。だが一体何のために?その理由が解き明かされないまま、やっぱりインサートされる心臓のカット(本日三度目)。これは「登場人物の誰かの心臓が停止します」という予告なのか?それとも、「過激な恐怖描写があるので、心臓発作には注意してください」という喚起なのか?まったくもって意味不明である。
『4匹の蝿』©1971 SEDA SPETTACOLI ALL RIGHTS RESEVED. ©SURF FILM SrI ALL RIGHTS RESERVED.
「私が大切だと考えていたことは唯一、自分だけの物語を語り続けることだったから、その時にはすでにアイデアが私の胸の中で文字通り爆発していた。そしておそらくそのせいもあって、私の三作品目のトップタイトルの背景には──荒々しいサウンドトラックに合わせて──脈打つ心臓を映像として映したかった。自分自身を克服した今、誰も予想だにしなかった成功を手にしたのだから、あのドキドキする心臓は他でもない私のものだった」(*)
とダリオ・アルジェントは語っているが、これを読んでもいまひとつ理由は分からない。思いがけない成功で胸が高まるアルジェント=脈打つ心臓というのは、あまりにもメタすぎるし、少々後付けのようにも感じられてしまう。彼は単に“絵”として面白いものを優先しただけなのだろう。理屈とか合理性みたいなものはタンクローリーのように踏み潰して、快感中枢を刺激する映像を次々と繰り出していく。おそらくそれが、ダリオ・アルジェントが信ずる映画なのである。