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『4匹の蝿』ダリオ・アルジェントの実生活を引き写したかのような、鮮血の悪夢

©1971 SEDA SPETTACOLI ALL RIGHTS RESEVED. ©SURF FILM SrI ALL RIGHTS RESERVED.

『4匹の蝿』ダリオ・アルジェントの実生活を引き写したかのような、鮮血の悪夢

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日常的なものから夢のようなものへ



 その直後に訪れるシークエンスも素晴らしい。ロベルトは謎の男を追って、劇場の中に入っていく。カーテンをめくり、またカーテンをめくり、またカーテンをめくり、さらにカーテンをめくると、そこには誰もいない、廃墟となったステージが広がっている。異世界への扉をこじ開けてしまったような感覚。確実に身を滅ぼすであろう、魔空間へと招き入れられたような手触り。開巻からわずか数分で、我々は世にも奇妙なアルジェント・シアターへと足を踏み入れる。


 取っ組み合いの末に、誤ってストーカーを殺してしまうロベルト。その様子をバルコニー席からパシャパシャとカメラで撮影する仮面の人物。『サスペリアPART2』(75)に登場するからくり人形にも似た、奇天烈ビジュアルだ。なんでこんなヘンテコ仮面を付けているのか、理屈なんてどうでもいい。『4匹の蝿』は、本格推理と鮮血の美学が不可分に結びついた「ジャッロ映画」として作られているが、ダリオ・アルジェントは何よりもまずビジュアルのインパクトで観客を魅了する。


 この作品は、アルジェントにとって最後のジャッロ映画になるはずだった。知らぬ間にスリラーのエキスパートとして祭り上げられてしまった自分から解放されたかった。「動物3部作」の過去2作よりも強烈で、非日常感の強い作品に仕上がったのは、その想いが強かったせいもあるかもしれない。



『4匹の蝿』©1971 SEDA SPETTACOLI ALL RIGHTS RESEVED. ©SURF FILM SrI ALL RIGHTS RESERVED.


「パラマウント社がどう思うかなんて誰にもわからなかったけれど、私の目的はたったひとつ。『4匹の蠅』はそれまでの二作品とはまったく違うものになるべきだった。そのためには、日常的なものから夢のようなものへ、そしてイタリアからもっと広い世界へ着実に横滑りしつつあることを、ひとつひとつの要素で暗示する必要があった」(*)


 ダリオ・アルジェントの語る「夢のようなもの」を最も端的に表しているのが、ロベルトが斬首される悪夢的イメージだろう。場所は、太陽がさんさんと降り注ぐ公開処刑場。死刑執行人がいっさいの迷いなく刀を振り落とす。露出過多で画面全体が白飛びしているため、白昼夢のような幻想性に包まれている。観客の脳裏に焼きつくシーンだ。


 仮面の脅迫者がロベルトの自宅に侵入し、ロープで彼の首を締めながら「お前がもっと苦しむところが見たい」と告げたことで、「首が切り落とされる」恐怖が植え付けられたのだろうか。だが冷静に映画を見返すと、首を絞められる前から彼はこの悪夢を見ている。実はコレ、最後に首を切られて真犯人が死亡する「予知夢」だったのだ(分かりにくい)。この飛躍っぷりこそ、アルジェント映画の魅力である。


 ちなみに首の切断を夢分析すると、「変化」「転換」そして「人との別れ」を意味するのだという。まさにこの時期、アルジェントは妻と別れて新しい恋人と一緒に暮らし始めていた。『4匹の蝿』を最後にジャッロと決別して新しいステージへと飛翔したいという想いとも重なって、この白昼夢シーンは生まれたのかもしれない。




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