現代にも通じる自己顕示欲
笑えるのは、その合理性を突き詰めているはずの邸宅が、全然便利ではないということ。難解なダイヤルやスイッチを操作しなければキッチンの棚も自由に開けられないし、自動開閉するガレージの扉のセンサーが車以外のものに反応し、中に閉じ込められたりしてよけいに苦労をしているのである。しかし、それに薄々気づいていながら我慢しているところを見ると、便利を追求するためなら、どんなに不便なことも受け入れるという姿勢のようだ。
その真意が最もよく分かるのは、アイコニックな魚型の噴水の存在である。普段はコストを気にして噴水を作動させることはないが、重要な客が訪問したときだけ、噴水のスイッチを入れるのである。だが、配達員だったりユロ氏が来たときにスイッチを押してしまい、慌てて消すこともしばしばある。つまり彼らの生活というのは、対外的に未来的で便利な生活をしていることを見せることが主目的なのである。
『ぼくの伯父さん』(c)Photofest / Getty Images
こういったアルペル夫妻の行動を現在の目で見ると、SNSなどを通して、優雅な暮らし、モダンな生活を自慢したいがためにひたすら努力を続けているタイプの現代人のそれに見えてくる。自分たちの楽しさや快適さよりも、他人から羨望の目を向けられることを優先しているのである。ジェラールが両親の振る舞いにうんざりしているのも理解できる。
セットに造られて撮影されたというアルペル邸や、ユロ氏が住んでいるアパルトマンは、その佇まい自体で、機械的な冷たさと有機的な温かみという、両者の異なった世界が対比されている。衛生的に問題がありそうなオヤツを売る屋台や、下町の喧騒なども、大量生産の工場と対照的な要素として配置され、「人間讃歌」をうたいあげるテーマを分かりやすく際立たせているといえよう。
また、冒頭やラストで犬たちが巡る郊外の景色が、劇中で何度も登場するというテクニックは、アルフレッド・ヒッチコック監督や黒澤明監督なども多用する演出テクニックだ。観客に情景を覚えさせることによって、そこに愛着を感じさせ、映画の世界に没入させるのである。