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『ぼくの伯父さん』ジャック・タチとチャップリン、重なるテーマと異なるアプローチ

(c)Photofest / Getty Images

『ぼくの伯父さん』ジャック・タチとチャップリン、重なるテーマと異なるアプローチ

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興行的失敗作『プレイタイム』との違い



 『プレイタイム』が興行的に失敗したのは、分かりやすいユーモアやギャグが減り、モダンアート的な要素を増幅させたことが大きい。この特異な試みは一部批評家の賞賛を浴びたが、一般の観客には退屈なものと映ったことだろう。この作品でも、モダニズムに対抗する「人間讃歌」が用意されたものの、それを口実にタチ自身がモダニズムに傾倒しているように見えることで、その効果は限定的に感じられる。非人間的なモダニズムを批判して笑いにしていたはずなのに、自身がモダニズムの魅力に耽溺してしまったのでは、ミイラ取りがミイラになっているような状況だろう。


 しかし、逆に『プレイタイム』のような感覚は、コメディとは異なる文脈での評価を受けてもいる。ここでの幾何学的なデザインやミニマリスティックな表現は、現在のオシャレな感覚とも直結し、再評価も生んでいるのだ。それは、いわゆる「オシャレ部屋」として紹介されるインテリアに、よくタチの映画のポスター、とくに『トラフィック』(71)が貼られていることでも理解できるだろう。


『プレイタイム』予告


 だが、従来のタチ映画のファンにしてみれば、音楽性が先鋭的、内省的になり過ぎてしまったバンドの新作アルバムのように感じたところもあるのではないか。その点において本作『ぼくの伯父さん』は、全てのバランスが奇跡的に取れた、万人が認める全盛期のアルバムのように感じられるのである。


 本作『ぼくの伯父さん』のラストでは、『モダン・タイムス』のように、やはり人間味の重要性が強調されることになり観客を安堵させる。しかし心残りなのは、効率性を重視する社会からユロ氏が弾き出され、人混みに揉まれながら消えていくといった、悲劇性を印象付けた展開だ。


 あれだけ親切でユーモアに溢れていたユロ氏が、雑踏に巻き込まれ消えていく……。このラストは、合理性、功利主義に人間性が絡め取られ消えていく未来を暗示したものだ。しかし、だからこそ本作は、利益のために狂奔する社会を痛烈に描いた作品として、大衆に支持される作品となったのだ。



文:小野寺系

映画仙人を目指し、さすらいながらWEBメディアや雑誌などで執筆する映画評論家。いろいろな角度から、映画の“深い”内容を分かりやすく伝えていきます。

Twitter:@kmovie



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