チャップリンと重なるテーマ、異なるアプローチ
機械化による合理主義への警鐘をコメディ映画で先んじて表現していたのは、チャールズ・チャップリンの『モダン・タイムス』(36)である。そこでは、チャップリン自身が演じる主人公が機械の操作に翻弄されたり、大きな機械の歯車の一部になってしまうという場面が象徴するように、人間と機械の役割、関係が逆転するといったおそろしさを描いている。その意味で本作『ぼくの伯父さん』は、『モダン・タイムス』のタチなりの精神的リメイクだと考えられる。そして、両作が映し出した懸念は、AIの進化による“人間不要”の未来への脅威にまで繋がっている。
このように、人間主義的なチャップリンとテーマが重なりつつも、タチのアプローチが異なるのは、モダニズムが織りなす幾何学的で洗練された世界に、批判していたはずのタチ自身が接近しているように感じるところだ。たしかにアルペル邸は全体がギャグとして描かれてはいるが、嘲笑するにはデザインが魅力的過ぎるのだ。とくに現在は、バウハウスの時代からの名作家具や、「ミッドセンチュリー・モダン」などの様式が、感度の高いインテリア好きを中心にリバイバルされているが、まさにそういった角度から評価できてしまうというのが、本作の複雑なところなのである。
『ぼくの伯父さん』(c)Photofest / Getty Images
それがより分かるのは、タチがユロ氏を続けて演じた監督作『プレイタイム』(67)である。舞台となる近未来のパリを表現するために、「タチ・ヴィル」と呼ばれる巨大オープンセットをパリ郊外に組むという、当時のフランス映画史上最大の製作費をかけた常軌を逸するスケールの超大作だ。この製作のため、タチは私財を投げ打ちほぼ10年がかりで取り組んだが、興行的には振るわず破産を余儀なくされてしまう。