市川崑の実体験が反映された創世記のテレビ業界
『黒い十人の女』は60年代初頭を舞台に、妻を含めた関係を持つ10人の女たちが共謀し、主人公の男を殺害しようと企てるというブラック・ユーモアにあふれたミステリー風味の物語だ。オリンピック前の牧歌的な時代に、仕事と時間に追われ続け、人間関係ばかりか女性関係までドライな主人公に相応しい仕事として選ばれたのが、当時、最先端の職業であったテレビ局のプロデューサーだった。
日本の民間テレビ放送第1号となる日本テレビの開局が1953年。そこからわずか8年しか経っていない時期に市川崑がテレビ業界を舞台にしたのは理由があった。
この時期、市川崑は日本テレビの演出顧問をしており、映画監督のテレビドラマ進出としては最も早い存在の一人だった。1959年だけで、『恋人』『冠婚葬祭』『恋飛脚 大和往来 封印切の場』『隣の椅子』、1960年には『足にさわった女』『駐車禁止』、1961年は『檸檬』『破戒』と、映画で話題作、秀作を相次いで発表しつつ、テレビでも次々に演出作を手がけていた。最初は生放送だったが、やがてVTRへ、モノクロからカラー放送へと、わずか2、3年で急速に技術革新が進むテレビの世界で意欲的な作品を撮り続けていた。
しかし、映画はネガさえ残っていれば『黒い十人の女』のようにニュープリントを焼いて甦らせることができるが、創世記のテレビ番組の大半は残っていない。市川崑のこれらのテレビ作品も例外ではない。なお、『恋人』『足にさわった女』は市川崑がかつて撮った映画のリメイクだが、『破戒』は連続ドラマとして製作されたものが好評だったことから、翌年、市川崑の手で映画としてセルフリメイクされており、映画とテレビの関係が、あっという間に逆転したことを実感させる。
こうした市川崑のテレビ体験が、『黒い十人の女』に反映されたことで、当時は露骨だった映画人がテレビを見下すような作りになることも、テレビ人を現実離れした存在に描くこともなく、リアルを基調にしつつカリカチュアされたキャラクター作り出せたと言えるだろう。
ちなみに、船越英二が演じたテレビ局のプロデューサーにはモデルがいる。前述の市川崑がテレビで演出を担当した全作をプロデュースした日本テレビの若尾初男プロデューサー。どの部分までモデルにしたのかは不明ながらも、若くして亡くなったと聞くと、映画を観た後では何とも複雑な気分になってしまう。