舐められる父親への回帰
主人公ハッチ・マンセルを演じるのは、ドラマ『ベター・コール・ソウル』(15〜22)で知られるボブ・オデンカーク。『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(13)や『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(17)といった作品にも出演しているが、お世辞にも大スターとは言い難いキャリア、地味なルックス。そんな彼のキャスティングは、観客の認識そのものをリセットした。
スクリーンに映るのは、どこにでもいそうな疲れた中年男。観客は劇中人物と同じように彼を“舐めて”見てしまう。やがて、その油断が粉々に打ち砕かれる。『Mr.ノーバディ』が提示したのは、「誰もが想定していない人間が暴力に覚醒する瞬間」を、観客自身に体験させるというジャンルの自己反転だった。
さらに決定的なのは、ハッチがジョン・ウィックやロバート・マッコールと違って家庭を持っていること。彼は妻と二人の子どもに囲まれながら、家の中でも誰でもない存在=Mr.ノーバディとして生きている。仕事は単調、家族との会話は途絶え、日々自分の無力さを突きつけられる。
彼は妻と子供たちを愛しているが、家族からはすでに排除されてしまっている。その断絶こそが彼の日常。外では働き、家では沈黙し、誰にも必要とされないまま「善良な市民」を演じ続ける。そんな日々が、侵入者によってわずかに揺らいだとき、封印していた過去の自分──暴力という名の生命力が再び呼び起こされる。彼の暴力は、ジョン・ウィックやロバート・マッコールのような喪失からではなく、倦怠と沈黙から生まれる再起動の衝動なのだ。

『Mr.ノーバディ2』© 2025 Universal Studios. All Rights Reserved.
そう考えると、4年ぶりに帰ってきた『Mr.ノーバディ2』(25)は、続編映画として極めて難しい構造を孕んでいる。なぜなら、もはや彼はMr.ノーバディ(誰でもない男)ではないからだ。もはや家族は彼の正体を知っており、観客もその覚醒の快楽を一度体験している。『Mr.ノーバディ2』には、前作の原動力だった「舐めてた相手が実は殺人マシンだった」という驚きが存在しない。もはやハッチは舐められる父親ではなく、畏怖すべき父親なのだ。
物語は、前作の事件から数年後から始まる。ハッチは、ロシアン・マフィアの資金を焼き払った代償として、裏社会の仲介人のもとで暗殺の仕事を続けていた。だが彼の家庭は再び冷え切り、妻ベッカ(コニー・ニールセン)との距離も広がっていた。疲弊したハッチは休暇を願い出て、家族との再出発を誓い、リゾート地へ家族旅行に出かける。
前作で思いきり暴力に身を投じた男が、今作ではその衝動を封印し、再び普通の父親に戻ろうとする──つまり、かつての舐められる父親へと回帰しようとしている。しかし、彼が向かう先は安らぎの場ではなく、再び暴力に呑み込まれていく祝祭空間だ。そこにこそ、このシリーズの核心である「家庭と暴力」「日常と非日常」という矛盾が、再び立ち上がってくる。