冬の映画から夏の映画への転調
この「ふたたび普通の父親に戻ろうとする」物語をどのように撮るのか。前作のイリヤ・ナイシュラーに代わってメガホンをとったのは、インドネシア出身のティモ・ジャヤント。彼はホラーやアクションを得意とする異能のフィルムメーカー。アジア圏ではすでに“アドレナリン映画の鬼才”として知られる存在だ。
普通ならよりハードでダークな続編を作るタイプの作家だが、彼は『Mr.ノーバディ2』を自分のハリウッド本格進出作に選んだうえで、「これまで自分が撮ってきた作品よりもずっと前向きで、ずっと温かみのある映画にしたいと強く思っていました」(*1)と意外なコメント。さらに彼は「ジョン・ウィックは孤高の狼であり、神話的な存在です。彼はまさに生ける神話なんです。一方でハッチはただの男で、多くの人々を殺してはいるけれど、同時に家族を持つことを否定しない。彼はそれを必要としていて、それこそが彼の良さなんです」(*2)とも語っている。
ジャヤントは明確に「ハッチは孤高の復讐者ではない」と言い切っている。彼はまだ夫であり、まだ父親であり、まだ家族に戻れるかもしれない男。『Mr.ノーバディ2』は復讐の連鎖をエスカレートさせる続編ではなく、父性と暴力の共存を検証するフィルムなのだ。

『Mr.ノーバディ2』© 2025 Universal Studios. All Rights Reserved.
その理念は画づくりにも直結している。前作が「都会の闇の中で孤独を研ぎ澄ます、冬の映画」だったのに対し、今作は「熱を帯びた光で水しぶきがキラキラと輝く、夏の映画」へと転じている。冬が「沈黙の暴力」なら、夏は「解放の暴力」。ハッチ・マンセルという男の再起は、まるで季節の変化そのもののように語られる。
ジャヤントが、「ウォーターパークや遊園地での撮影は、まるでR指定版『ホーム・アローン』のような気分でした」(*3)と述べているように、アクションは閉じた暗がりでの処刑劇ではなく、空間全体を使った罠と工夫の遊戯としてデザインされている。水鉄砲ごっこではなく、本物の銃撃戦。ボート遊びではなく、本気の死闘。つまりハッチは、殺人マシンとしての父親ではなく、家族旅行の最中にどうにか父親であろうとする男として戦うことになる。
そこに生まれるのは、ただのヒットマン映画ではなく、「父であること」と「暴力を使えること」が同時に存在してしまった現代の父親神話。父親としてふつうの夏休みを過ごそうとする男が、その願いも虚しく巻き込まれていく物語であり、なおもそこから家族に戻る道をあきらめない物語なのだ(しかも敵のボスキャラは天下のシャロン・ストーン姐さんである!)。
暴力はもはやカタルシスではなく、愛に至るための遠回りなプロセスとして描かれる。ハッチ・マンセルは、戦いの果てに何を守り、何を取り戻すのか。その答えが、真夏の陽光と血飛沫が交錯するこの続編の中で、静かに、しかし確かに立ち上がっている。
(*3)https://mamasgeeky.com/2025/08/nobody-2-director-timo-tjahjanto.html?utm_source=chatgpt.com
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
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『Mr.ノーバディ2』
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配給:東宝東和
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