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『赤い風船』希望の灯としての赤い風船、そして風になる

© Copyright Films Montsouris 1956

『赤い風船』希望の灯としての赤い風船、そして風になる

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メニルモンタンという街の映画



 アルベール・ラモリスは、ドキュメンタリーから出発した映画作家だ。ヌーヴェルヴァーグの資質を十分に備えていながら、どこにも属さなかったその作家性には、無類の探検家であると同時に発明家、そして記録映画作家、何より映像詩人のような趣がある。『赤い風船』の風船が予測不能な生き物のように撮られているように、アルベール・ラモリスの映画は動物を撮るときにもっとも輝きを放つ。フランス植民地時代のチュニジアのジェルバ島を取材した短編ドキュメンタリー『Djerba(ジェルバ)』(47)では、次作となる『小さなロバ、ビム』(51)につながるロバが既に登場している。『小さなロバ、ビム』における動物や土地、地形への鋭い感覚は、湿地帯を駆け抜ける白い鬣(たてがみ)の馬を撮った大傑作『白い馬』(53)で余すところなく発揮され、それはパリの下町メニルモンタンとベルヴィルを舞台とする『赤い風船』へと形を変えて引き継がれている。少年が駆け抜ける坂道、雨に濡れた石畳、迷路のように狭い住宅街の路地、壊れたコンクリート、空き地、ポスター、落書き。すべてのショットに絵画的な美しさとドキュメンタリー性が奇跡的に共存している。本作の撮影後、1960年代になると、メニルモンタン地区は大規模な解体と再建計画により、映画の舞台となった多くの景色が失われたという。



『赤い風船 4K』© Copyright Films Montsouris 1956


 絵画的な美しさとドキュメンタリー性を共存させるアルベール・ラモリスは、おそらく完璧主義者であり、完璧主義者であるからこそ、自身の危険すら顧みない映画作家だったと思われる。空への憧れ。アルベール・ラモリスは空撮のために耐震性を備えたヘリヴィジョンを発明している(後にハリウッド映画でも用いられることになる)。ヘリヴィジョンの技術が縦横無尽に駆使された『素晴らしい風船旅行』(60)は、まさしく“空撮エクストリーム”な作品であり、現代のドローン撮影の滑らかさにはない、アナログ撮影ならではの空撮の味わいがある。空撮と飛行へのこだわりは、地上からの解放に向かっていく。アルベール・ラモリスは遺作となった、『恋人たちの風』(78)の撮影中に48歳の若さで事故死している。カメラが“風”のようになった作品だ。


 アルベール・ラモリスの息子であり、『赤い風船』の少年を演じたパスカル・ラモリスを追ったドキュメンタリー作品『Mon Père était un Ballon Rouge』(08)がある。残された家族の8ミリフィルムをはじめ、パートナーの全面的な協力体制など、アルベール・ラモリスのフィルモグラフィーが“家族映画”であったことがよく理解できる秀逸な作品だ(ホウ・シャオシェンやジュリエット・ビノシュが出演している)。この作品の中で、パスカル・ラモリスは父親の最後の言葉が強烈に胸に残っていることを告白している。「世界の果てまで行く」。墜落事故の直前にアルベール・ラモリスは息子にそう言ったという。また、『 フィフィ大空をゆく』(65)の主人公を演じたフィリップ・アブロンが語っていた言葉が興味深い。「社会では危険を伴わずに自由でいることはできない」。私たちの生活のすぐ隣に危険があるというテーマは、アルベール・ラモリスの映画に一貫している。『赤い風船』の少年は、風船の生を発見すると同時に死を直視する。その意味で本作は真の“教育映画”ともいえる。





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