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『動くな、死ね、甦れ!』最後の歌、深淵を覗き込むような決定的な映画体験

『動くな、死ね、甦れ!』

『動くな、死ね、甦れ!』最後の歌、深淵を覗き込むような決定的な映画体験

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『動くな、死ね、甦れ!』あらすじ

舞台は第二次世界大戦直後、収容所地帯と化したソ連の炭鉱町。大人でさえ自分を守ることで精一杯な世の中を、危うげながらも逞しく生きる12歳の少年ワレルカ。彼の引き起こす無垢な、しかし、やってはならない悪さは、母親への反発と相まって次第にエスカレートしていく。そんな彼の前に、守護天使のように現れては、危機を救ってくれる幼馴染の少女ガリーヤ。二人に芽生えた淡い想いは次第に呼応していくが、やがて運命はとんでもない方向へ転じていくのだった…。


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これが最後の歌だ!



 “これが最後の歌だ!”とばかりに、心の底から歌われたエレジー。『動くな、死ね、甦れ!』(89)には、ラストアルバムのような決意が漲っている。これはヴィターリー・カネフスキー監督が人生、そして命そのものに挑戦した映画だ。本作の完成後、カネフスキーは「二度と映画を撮れない」と、4か月間の憔悴状態に陥ったという。すべてを注ぎ込んだため、感情があまりにも強く、激しすぎたと。


 舞台は極東ロシアの炭鉱町スーチャン。カネフスキー本人のものと思われる「スタート!」の掛け声が響くと、トンネルの闇の奥から労働者たちが続々と出てくる。衣服は汚れ、頬は灰に塗れている。地獄から這い出てきた囚人、または亡霊のようにも見える。泥と雪でぬかるんだ足場の悪い土地。木造の共同住宅。霧のカーテン。色のない世界。路地裏から聞こえてくる悲鳴。スターリン政権下の官僚制度。そして深刻な食糧不足。近代化から見放されたようなこの町には、産業廃棄物の遊び場がある。少年ワレルカ(パーヴェル・ナザーロフ)は、吊るされたドラム缶のようなものに乗ってぐるぐる回る。その無邪気さ。このショットをバックに、一度聞いたら忘れられない決定的なタイトルが入る。『動くな、死ね、甦れ!』。廃棄物はワレルカの“揺りかご”となる。過酷な環境には違いないが、ワレルカにとってこの土地は紛れもなく少年期を形成する大切な故郷でもある。



『動くな、死ね、甦れ!』


 少年時代のカネフスキーのオルター・エゴを担うナザーロフは、ストリートで偶然に発見された実際のストリートチルドレンだ。伝説的な作家ジャン・ジュネのように窃盗の犯罪歴を持つカネフスキーは、自分の子供時代とよく似た境遇にいる少年の信頼を得るために策を練る。君は私の息子だ。自分以外の人間は信じるなと。まともな教育を受けていないナザーロフは、台本に書いてあることが読めず、まったく落ち着きのない子だったという。撮影中にどこかに消えてしまったこともあった。しかしカネフスキーはナザーロフの多動性を最大限に活かしている。


 演出面におけるカネフスキーの最大の関心は、子供の多動性にある。ワレルカの家に子豚のマーシャがペットとしてやって来るシーンで、カメラは必要以上にマーシャの予測不能な動きを追いかける。人間は子豚の動きをコントロールできない。カネフスキーはこのシーンで、子豚の多動性とナザーロフの落ち着きのなさを二重のイメージとして表現している。コントロールできないからこそ、生の息遣い、ドキュメンタリー性がフィルムに焼き付いていく。本作の続編となる『ひとりで生きる』(91)で、マーシャは大人たちに屠殺される。一緒にベッドで寝るほど可愛がっていたマーシャが無残に殺されるとき、ワレルカの無邪気な少年期は強制的に終わらされる。故郷=揺りかごとのつながりを切断される。





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