『天国の日々』あらすじ
20世紀初頭のテキサス。青年ビル(リチャード・ギア)はシカゴでトラブルを起こし、妹のリンダ(リンダ・マンズ)、ビルの恋人アビー(ブルック・アダムス)とともに広大な麦畑に流れ着く。3人は裕福な地主のチャック(サム・シェパード)のために麦刈りの仕事をすることになった。秋が近づくころチャックは不治の病に侵されていることを医師から告げられる。麦刈りの時期が終わると労働者たちはそれぞれの故郷に帰ることになっていたが、チャックはアビーを見初め周囲の反対も聞かず結婚を申し込む。自分が身を引いた方がいいと悟ったビルは一人その地を去っていく。しかし翌年彼が再びテキサスに戻ってきたことからビル、チャック、アビーの3人は思わぬ展開を迎えた。
Index
リンダ・マンズという詩人
「10代の少女リンダがこの映画の中心です。コインランドリーで発見されたストリートチルドレンのような子だった。」(テレンス・マリック)*1
『天国の日々』(78)はカミーユ・サン=サーンス「動物の謝肉祭第7曲“水族館”」の幻想的な音楽で幕を開ける。“新しい夜明け”の到来を告げる音色。水中の世界に思いを馳せるような幻想性。このノスタルジックで神秘的な音色は、やがて手のひらからたくさんのガラス玉がこぼれ落ちるような音へと変化していく。ガラス玉からのぞきこむセピア色の世界。20世紀初頭のアメリカの風景を切り取ったセピア色の静止画がスライドショーのように流れていく。都市の風景。建築物に囲まれたストリートで球技に興じる少年たち。楽し気に遊ぶ少女たち。工場の労働者。白いヴェールを纏った花嫁。権力者。手漕ぎボートに乗る2人組の男性。岩の上に座って海を眺めている孤独な女性。再び労働者たち。干された洗濯物。ランダムに、自由連想のようにスライドされていく静止画が、“移民のいる風景”のアーチを形作る。このスライドショーの最後に、路上に座りこんだリンダ(リンダ・マンズ)の写真が映し出される。
“1900年頃に実際にいたストリートチルドレン”と言われても何ら違和感のないリンダの独特な佇まい。アメリカ各地を渡り歩く、さすらいの労働者である兄のビル(リチャード・ギア)と共に行動するリンダは、物語を紡ぐ人であり、この映画の“声”となる。リンダ・マンズという詩人。テレンス・マリック監督は本作がデビュー作となる、まだ10代の少女にこの映画の行方、命運を握らせている。リチャード・ギアが語ったように、リンダ・マンズは「風変りな野生動物」であり、彼女の口から発せられる言葉は「宝石」のようだった。
『天国の日々』© 2025, 1978 BY PARAMOUNT PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.
リンダのナレーションは、前作『バッドランズ』(73)のホリー(シシー・スペイセク)とはまったく趣が異なっている。夢見がちな田舎の少女ホリーを“物語小説の作家”とするならば、リンダはストリートを拠点とする“ダダイズムの詩人”だ。リンダは意識の流れに身を任せたような、より直感的で断片的な言葉を発する。リンダは言う。「完ぺきな人間なんていやしない。皆、半分は悪魔、半分は天使だ」と。アウトサイダーのような佇まい。ダダをこねる小さな子供のような粗い声の響き。真理を突くような繊細で鋭利な言葉。
『天国の日々』の編集に2年の歳月をかけたテレンス・マリックは、ある日リンダ・マンズを呼び、映画を見ながらアドリブで言葉を発してもらったという。『天国の日々』という映画が、リンダの静止画をきっかけに動き始めるのは必然の選択だったといえる。ここには“リンダ・マンズという詩人”の発明がある。