屋敷=王国の希薄さ
「都市や工場を捨てた都市生活者。犯罪者というよりは、犯罪の片隅でつかみどころのない希望を糧に生きていると言った方が正しいだろう」(テレンス・マリック)*1
シカゴの鉄工所で大きな問題を起こしたビルは、恋人のアビー(ブルック・アダムス)と妹のリンダを連れてテキサスの農場へ向かう。広大な土地を所有するチャック(サム・シェパード)の元で働きはじめる。エドワード・ホッパーの「線路わきの家」やアンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」のような絵画作品をインスピレーション元とする、チャックの立派な屋敷。ビルはこの広大な土地に足を踏み入れたとき、富を所有する者の感覚を目の当たりにする。チャックには特権がある。しかし暴君ではない。リンダのナレーションが説明するとおり、「花をあげたら、一生大事にする人」であろう穏やかで優しい人物だ。そしてチャックの所有する立派な屋敷は、“王朝”の記念碑であると同時に、俗世から隔離された“ゴーストハウス”のようにも見える。
映画批評家のエイドリアン・マーティンは、チャック=サム・シェパードの存在を、立体的な生身の人間というよりも、“スケッチ”や“シルエット”、“ゴースト”のような存在だと指摘している。余命1年を宣告されているチャックの実像と同じくらい、この屋敷には実体のなさ、輪郭の薄さ、あるいは取り残された者の痛みのようなものが感じられる。空虚な屋敷。ここにあるはずなのに、ここにはない王国。サム・シェパードが分析しているように、チャックは“本当の家を持たないキャラクター”なのだろう。
『天国の日々』© 2025, 1978 BY PARAMOUNT PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.
収穫の季節にやってくる労働者たち。チャックがアビーに恋をすることで物語は動きはじめる。刈り入れが終われば労働者たちは農場を去っていく。チャックはアビーにこの土地に留まってほしいと懇願する。ビルとアビーは兄と妹の関係を装い、チャックに近づいていく。ビルは余命少ないチャックの財産を乗っとろうと計画する。リンダを含んだ3人の理想の家族生活を思い描いている。チャックとアビーは結婚する。4人の共同生活が始まる。しかしビルが想定していたほどチャックは健康を悪化させず、アビーはチャックのことを好きになっていく。感情的に耐えられなくなっていくビル。無謀な計画は自滅へと向かっていく。
『天国の日々』はドラマチックな愛憎劇というよりも、沈黙やささやき声による愛憎劇として設計されている。声を荒げるような激しさは削られている。これはテレンス・マリックが書いた当初の脚本とは大きく異なっている。たとえば元の脚本では、ビルは意図的にアビーとの“秘密の関係”をチャックに見せつけている。それは暴力に等しい。多くの台詞が削られ、より沈黙が支配するように再設計されている。この映画に関わった多くのキャストとスタッフが証言しているように、脚本はその日その日で変わり、編集でさらに変化していく。