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『ミッキー17』複製の脅威への抵抗、母なるものの再発見

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『ミッキー17』複製の脅威への抵抗、母なるものの再発見

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『ミッキー17』あらすじ

人生失敗だらけのミッキーは、何度でも生まれ変われる夢の仕事を手に入れた、はずが……⁉それは身勝手な権力者たちの過酷すぎる業務命令で次々と死んでは生き返る任務、まさに究極の“死にゲー”だった。ブラック企業のどん底で、ありとあらゆる方法で搾取され、死んでは生き返らせ続けるミッキー(ロバート・パティンソン)。何度も死に続け、遂に17号となったミッキーの前に、ある日手違いで自分のコピーである18号が現れ、事態は一変、2人のミッキーは権力者たちへの逆襲を開始する。ターゲットは自分の得しか考えていない強欲なボス、マーシャル(マーク・ラファロ)と現場に“死にゲー”任務を強いる、イルファ(トニ・コレット)だ。使い捨てワーカーvs強欲なブラック企業のトップ、ミッキーの逆襲がついに幕を開ける――。


Index


“複製される”ロバート・パティンソン



 氷の惑星における雪原の洞窟。足を滑らせ洞窟の底に落ちたミッキー・バーンズ(ロバート・パティンソン)は、17回目の死の瀬戸際にいる。既に16回の死を経験しているミッキー。ミッキーはクローンでもレプリカントでもない。ヒューマン・プリンティング=複製人間として、文字通りコピー機のようなマシンを介してプリントされる(MRI検査装置のようなマシン)。死ぬことには慣れている。ミッキーは実験台として紙切れのように複製され、権力者の消耗品にされることを受け入れている。


 ミッキーは自分の憐れな人生のことを“罰”だと思い込んでいる。ミッキーは乗組員たちによる好奇の目にさらされている。ミッキーは質問される。“死ぬとはどんな感じなのか?”。不躾で興味本位な質問には、“生きるとはどんな感じなのか?と逆に問い返してやるべきだ。しかしミッキーにはそのような反抗心すらない。ミッキーは自分の人生のことを”既に手遅れ“だと感じている。洞窟への落下により行方不明になったミッキーは17回目の死を迎えたことにされ、新たに18人目のミッキーがプリントアウトされる。何事にも受動的な態度だった“ミッキー17”と違い、“ミッキー18”は反抗的で獰猛なエネルギーに溢れている。“ミッキー18”は健全な怒りを持っている。



『ミッキー17』© 2025 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.


 『ミッキー17』(25)は、ポン・ジュノ監督がこれまでにハリウッドで制作してきた『スノーピアサー』(13)と『オクジャ/okja』(17)の、設定と美学を組み合わせ、すべての面で上をいく、痛快なまでに“ザッツ・エンターテイメント!”な作品だ。なによりも“ミッキー17”と“ミッキー18”を演じるロバート・パティンソンの魅力が炸裂している。ロバート・パティンソンは『妹の恋人』(93)のジョニー・デップの演技を通してバスター・キートンに影響を受けたという。MRIのような人体複製機から軟体動物のようにミッキーが誕生する瞬間や、ポカンと口を開けたままの表情には、まさしくバスター・キートンの持っていた“虚無感”が漂っている。声の調子や強さ、表情の強さと弱さを変幻自在に使い分け、まるでマリオネットとコンビを組むコメディアンのように一人二役を演じている。ロバート・パティンソンの豊かな才能には圧倒されるばかりだ。


 ロバート・パティンソンはクレール・ドゥニ監督の『ハイ・ライフ』(18)でも宇宙船に乗せられた死刑囚を演じていた。『ハイ・ライフ』においてもロバート・パティンソンのストリート感がキャラクターを豊かにしていた。エドワード・アシュトンによる『ミッキー17』の原作「ミッキー7反物質ブルース」では、ミッキーは歴史家の設定になっている。ポン・ジュノは、ミッキーをストリートで育った“持たざる”青年のようなキャラクターに変更することで、ロバート・パティンソンの魅力を最大限に引き出している。





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