母親の再発見、半分の勝利
「新しい映画を企画するとき一番不安に思うのは、シーンをどう書くかということで、AIはその不安を共有することはできないだろう。」
「しかし私たちはすでに、すべてのAIプログラムのプラグを抜くことができる時点を過ぎてしまっている。私たちは彼らと共存していかなければならない。」(ポン・ジュノ)*
『ミッキー17』の“複製”というテーマは、生成AIに脅かされている映画産業や現在のスターシステムにも向けられている。“ミッキー17“と“ミッキー18”のコンビは、複製された双子のような存在であり、ポン・ジュノが原作にないマーシャルの妻役イルファというキャラクターを作ったのも、広義の、双子、パートナー、二人組というテーマを鏡像関係のような図式として追求するためだったのだろう。この世界では“ミッキー17”と“ミッキー18”の共存は、法的にも倫理的にも許されていない。どちらかはこの世界から消えなければならない。しかし、こんな酷い世界における倫理とはいったい何だというのか?
ミッキーの愉快で優しい恋人であるナーシャ(ナオミ・アッキー)は、この切羽詰まった状況を心から楽しみ、2人のミッキーを共に愛する。『ミッキー17』という映画は、パートナーという関係に悲しみの意味合いだけでなく、トラウマを克服する祝祭的な希望を発見している。ナーシャは外敵から子猫を守る母猫のようにミッキーを守ろうとする。ミッキーは自分のために本気で他人に怒ってくれる人を発見する。心の底からこみ上げてくるような嬉しさを知る。どんなことがあっても自分のことを守ってくれたであろう母親へのノスタルジーを知る。ミッキーにとってナーシャとの関係は、生まれて初めて知るパートナーの発見、そして幼い頃に不慮の事故で失った母親を再発見することにつながっている。ポン・ジュノが本作を「“Coming of Age Movie”(大人になる成長物語/青春映画)」と位置付けていることに激しく頷くことができる。クリーチャーのボスが女王であり母親なのは、“母親の再発見”というテーマを更に強固にしている。女王も子供を守るために戦っている。女王の中に母親のイメージが生まれる。ミッキーとクリーチャーは、広義のパートナーのような関係を結んでいく(翻訳機の存在が面白い)。そして“ミッキー18”はエネルギーに溢れた兄のような存在であり、未来の自分を形成してくれる最高のパートナーだ。
『ミッキー17』© 2025 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
『オクジャ』においてスーパーピッグのオクジャが救われたとき、少女は犠牲になっている他のスーパーピッグたちを背に、胸が潰れそうになるような思いで工場を去っていった。苦い勝利。半分の勝利。『オクジャ』には戦いに勝利したところで、この世界の問題の根源が消え去るわけではないことが示されていた。『ミッキー17』は、これまでのポン・ジュノの作品がそうだったように、半分の勝利へと向かっていく。ミッキーは何かを失いつつ前に進んでいく。この映画が感動的なのは、現代のAIプログラム等の“複製”が、クリエイティブに与える脅威に対する半分の勝利にもなっているところだ。手遅れになった世界における喪失と獲得、抵抗と共存。ポン・ジュノは映画を撮り続けることこそが、この問い、この不安に対する答えであり抵抗であるはずだと、毅然とした態度で示し続けている。
*[Sight & Sound April 2025 “Death Becomes Him Interviewed by Tony Rayns ]
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
『ミッキー17』を今すぐ予約する
『ミッキー17』
大ヒット上映中
配給:ワーナー・ブラザース映画
© 2025 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.