1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 動くな、死ね、甦れ!
  4. 『動くな、死ね、甦れ!』最後の歌、深淵を覗き込むような決定的な映画体験
『動くな、死ね、甦れ!』最後の歌、深淵を覗き込むような決定的な映画体験

『動くな、死ね、甦れ!』

『動くな、死ね、甦れ!』最後の歌、深淵を覗き込むような決定的な映画体験

PAGES


深淵を覗き込むような悪夢



 「自分の少年時代、つまり、自分の不幸と幸福をできるかぎり正直に、誠実に物語りたかっただけなのです」(ヴィターリー・カネフスキー)*


 『動くな、死ね、甦れ!』は、1990年のカンヌ国際映画祭で新人監督賞にあたるカメラ・ドールを受賞している。カネフスキーは、イングマール・ベルイマンに絶賛されたことをよく覚えているという。54歳の“第二のデビュー作”。成功に対する心の準備は、まったくできていなかったという。不本意な長編デビュー作『田舎の物語』(81)を撮ったあと、カネフスキーは本人曰く、“ソビエト最低の映画監督”のレッテルを貼られる(しかし『田舎の物語』冒頭のヘラジカのシーンは、カネフスキーの動物へのこだわりがよく表わされた優れたシーンだ)。


 1987年、ペレストロイカ末期。カネフスキーは自分の少年時代の映画化に着手する。この脚本がアレクセイ・ゲルマン監督に激賞される。カネフスキーはレンフィルム撮影所の余ったフィルムを元にテスト撮影を行う。このテストにより、カネフスキーは独学のスタイルを獲得する。テストフィルムは激しい称賛と反感を得る。カネフスキーによると、ゲルマンはあまりよく思っていなかったという話だが、ゲルマンによる20世紀末の大傑作『フルスタリョフ、車を!』(98)には、『動くな、死ね、甦れ!』のビジュアル面の影響が色濃く滲んでいる。



『動くな、死ね、甦れ!』


 カネフスキーはフランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』(59)のファンであり、ジャン=ピエール・レオが演じたアントワーヌ・ドワネル少年のことを「逃げ去るがどこに自分が行くのかは分からない子供」と評している。スーチャンで行き場を失ったワレルカのイメージと重なる言葉だ。しかし『動くな、死ね、甦れ!』の隣に置くのにふさわしい映画は、ハーモニー・コリン監督の『ガンモ』(97)やヘクトール・バベンコ監督の『ピショット』(81)だと筆者は考える。カネフスキーが捉えるスーチャンという土地には、現実が幻想や悪夢を凌駕していくような感覚があるからだ。ワレルカの身体は傷だらけになるが、スーチャンという土地自体が既に傷だらけだ。


 深淵を覗き込むような悪夢。『動くな、死ね、甦れ!』と『ひとりで生きる』には、カネフスキーによる崩壊した世界が描かれている。それはペレストロイカ末期、ソ連崩壊の時代、イメージと重なっている。少なくともソ連当局にとってこの映画は、国の不名誉を世界に植え付ける映画であったことは間違いない。『ぼくら、20世紀の子どもたち』(93)を含めた3部作によって、カネフスキーは永遠に周縁の映画作家であり続けている。カネフスキーの映画を見ることは、ほかのどの映画よりも“体験”と呼ぶにふさわしい。私たち観客は、ワレルカと共に崩壊した世界を目と耳で目撃する。権力の形骸化を。大人の冷酷さを。戦争の後遺症を。行き場を失った歌を。狂ったふりをする人々を。本当に狂ってしまった人々のまなざしが何を見つめているのかを。殴られたら必ず殴り返す気性のワレルカは、冷酷な大人たちから絶対に目を逸らさない。残酷な出来事から目を逸らさない。ワレルカのハッと見開いた瞳には、攻撃性と怯えと優しさと軽蔑、その果てに生まれる“分からない”という感覚が、未解決のまま同居している。カネフスキーの映画、ワレルカの瞳を通して、観客は未解決の感覚を共有する。





PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 動くな、死ね、甦れ!
  4. 『動くな、死ね、甦れ!』最後の歌、深淵を覗き込むような決定的な映画体験