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『海辺へ行く道』シーサイド・セレンディピティ、人生の響き合いに向けられた讃歌

©2025映画「海辺へ行く道」製作委員会

『海辺へ行く道』シーサイド・セレンディピティ、人生の響き合いに向けられた讃歌

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『海辺へ行く道』あらすじ

アーティスト移住支援をうたう、とある海辺の街。のんきに暮らす14歳の美術部員・奏介(原田琥之佑)とその仲間たちは、夏休みにもかかわらず演劇部に依頼された絵を描いたり新聞部の取材を手伝ったりと毎日忙しい。街には何やらあやしげな“アーティスト”たちがウロウロ。そんな中、奏介たちにちょっと不思議な依頼が次々に飛び込んでくる。ものづくりに夢中で自由奔放な子供たちと、秘密と嘘ばかりの大人たち。果てなき想像力が乱反射する海辺で、すべての登場人物が愛おしく、優しさとユーモアに満ちた、ちょっとおかしな人生讃歌。


Index


人生の響き合い



 瀬戸内の夏。小豆島の青空。坂道の多い町。舗装されていないジグザグ道を、奏介(原田琥之佑)は駆け足で降りていく。見晴らしのよい高台に構えられた家。奏介はこの小さな家で親戚の寿美子(麻生久美子)と二人で暮らしている。滑るように坂道を下っていく自転車。風を切るような心地よさ。チャリンチャリンというベルの音が、そよ風のようなやさしさを運んでくれる。ヨーコ(唐田えりか)のベルの音を聞いた少年たちは、ふと体が軽くなるのを感じる。それは日常の何でもない瞬間だが、人生のインスピレーションが開けていく“ヒント”が隠された瞬間でもある。しかし少年たちはまだそのことに気づいていない。あの夏、知らない誰かが鳴らしたあの音のやさしさは何だったのか?やさしかったあの響きの謎が、子供たちの胸の中に眠り続ける。それはいつの日か目を覚ます。忘れかけていた記憶が口を開ける。いつか大人になってこの年の夏を振り返るとき、少年たちはあのチャリンチャリンというベルの響きを思い出す。海沿いの潮風の香りや汗ばんだ制服の香りと共に。ここには響きや香りという触れられないものに対する永遠の憧れがある。それはそれぞれの胸の中で形を変え、新たなオーラを纏い、独自に育っていく。私たちの人生は、そういった過ぎ去っていく“響き”の中にある。この映画は他のどの映画にも似ていないが、敢えて言うならばマイク・ミルズの作る映画が持っている感覚に近い。『海辺へ行く道』(25)は、人生の響き合いに向けられた讃歌なのだ。



『海辺へ行く道』©2025映画「海辺へ行く道」製作委員会


 三好銀の連作短編漫画を原作とする本作には、短編アンソロジー映画を味わうかのような趣がある。横浜聡子監督は原作のエピソードを抽出したり組み換えることで、奇跡的なバランスを編み出している(編集の素晴らしさ!)。最初のエピソードにあたる高岡(高良健吾)とヨーコによる「長いつばの女」編には、この映画のエッセンスが凝縮されている。よく切れる料理包丁を売るためにこの町に来た高岡とヨーコ。ヨーコは空いた時間に坂道の多い町を自転車で散策する。ペダルから足を離して開放的な姿勢で坂を下っていくヨーコ。まさしく風のようなヨーコ。少年たちが彼女とすれ違う。奏介の美術部の後輩である良一(中須翔真)は、この町の“異邦人”であるヨーコが纏っている自由奔放なオーラに強く惹かれる。強い憧れを抱く。二人の接触はほとんどない。ヨーコは過ぎ去っていく景色のように、颯爽とこの町を去っていく。良一は一人取り残される。ヨーコはこの町を去っていくとき、高岡の運転する車の窓から片手を出して「バイバイ」の身振りをする。この町へのさよなら。彼女のさよならは誰にも届かない。二人が再び会うことはないかもしれない。少年の胸の中にヨーコのイメージだけが残り続ける。


 二度と触れられないイメージ。『海辺へ行く道』は、ファースト・エピソードのような、過ぎ去っていくイメージの連続で構成されている。過ぎ去っていった鮮烈なイメージは、誰かの胸の中でどんどん大きくなっていく。エネルギーになる。インスピレーションになる。そしてこの映画にとってイメージとは人生の響き合いのことである。




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