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『ワン・バトル・アフター・アナザー』PTA映画における新たな父性のかたち ※注!ネタバレ含みます
2025.10.07
※本記事は物語の核心に触れているため、映画未見の方はご注意ください。
『ワン・バトル・アフター・アナザー』あらすじ
最愛の娘と平凡ながらも冴えない日々を過ごす元革命家のボブ(レオナルド・ディカプリオ)。突然娘がさらわれ、生活が一変する。異常な執着心でボブを追い詰める変態軍人“ロックジョー”(ショーン・ペン)。次から次へと襲いかかる刺客たちとの死闘の中、テンパりながらもボブに革命家時代の闘争心がよみがえっていく…。逃げなければ、生き延びられない。だが、娘を救わなければ、父では居られない…!!ボブのピンチに現れる謎の空手道場の“センセイ”(ベニチオ・デル・トロ)の手を借りて、元革命家として逃げ続けた生活を捨て、戦いに身を投じたボブと娘の運命の先にあるのは、絶望か、希望か、それとも──。
Index
不完全な父から始まる物語
「彼は演技が下手くそだったから、成功しなかったんだよ」(*)
これは、ポール・トーマス・アンダーソンが父アーネストを冗談めかして語った一言。過度に突き放すわけでも、過剰に持ち上げるわけでもなく、父親を一人の人間としてフラットに受け止めるような、親子の独特な距離感がにじみ出ている。
アーネスト・アンダーソンは人気司会者として名を馳せたものの、俳優としては成功を収めることができなかった。PTAにとって彼は偉大な人物であると同時に、どこか不完全な人間でもあったのだ。この見方は、そのままアンダーソン作品における父性の描写に直結する。理想化された権威ではなく、欲望や欠点を抱え込んだ存在として。
PTA初期作品において、父性は欠落や歪みとして表出される。『ブギーナイツ』(97)や『マグノリア』(99)では、家族と信頼関係を築くことができず、実父不在のなかで擬似家族が形成されていく。特に『マグノリア』では、父の愛を得られなかった子どもたちが深いトラウマを抱え、その傷が連鎖していく様子が語られていた。
『ワン・バトル・アフター・アナザー』©2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
中期以降の作品では、父は権力者としての色彩を強める。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07)の石油王プレインビューは父という役割を演じつつも、養子を権力欲の道具として利用し、父性を“愛を装った支配”として提示する。『ザ・マスター』(12)のランカスター・ドッドもまたカリスマ的な父だが、その権威は欲望と欺瞞に覆われ、父性の脆さを露呈していた。
一方、『パンチドランク・ラブ』(02)や『ファントム・スレッド』(17)では、従来の父権的支配を揺るがす新たな関係性が提示される。『パンチドランク・ラブ』の主人公バリーは著しく父性を欠いた存在で、恋愛を通して自立と変容を遂げる。『ファントム・スレッド』では、父権主義的だったレイノルズがアルマと出会うことで、それまでの支配的な関係が崩れ、次第にふたりで生きる形を見つけていく。
権力と愛、支配と救済。父親はその二面性を映し出す存在だ。初期はトラウマとして、次いで権力の象徴として、そして近作では不完全ながらも愛を模索する存在として。アンダーソンのフィルモグラフィーとはすなわち、「父をいかに描くか」という問いを繰り返し変奏する歴史なのである。
そして、最新作の『ワン・バトル・アフター・アナザー』(25)。トマス・ピンチョンの小説「ヴァインランド」からインスピレーションを得たこの映画では、落ちぶれた革命家が父親として登場し、娘を救うために奔走する。…だが、無駄に奔走するだけ。もはや父親は、トラウマでも権力の象徴ですらなく、ひたすら無力な存在として現れる。
かくして父性をめぐる探求は、新しいフェーズに突入した。