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『ワン・バトル・アフター・アナザー』PTA映画における新たな父性のかたち ※注!ネタバレ含みます
2025.10.07
スクリーンを支配し続ける母
“父の無力さ”と並んで特徴的なのは、“母の不在”だ。
ボブはひとりで娘を育てているが、その背景には母ペルフィディアが革命活動を優先し、子を捨て去ったという欠落が横たわっている。そして物語の核心は、娘がその不在の真実と向き合い、母の裏切りをどう受け止めるかに移行していく。ここに至ってPTAは、父性だけでなく母性の空白をも描きだす。
過去のフィルモグラフィーを振り返ると、母親は常に影の薄い存在だった。『ブギーナイツ』では、主人公エディが母親からの承認を得られず家を飛び出し、ポルノ業界という疑似家族に居場所を見いだす。
『マグノリア』でも物語を牽引するのは父の不在や暴力であり、母親はほとんど沈黙する存在として描かれていた。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』では、母性はほぼ完全に欠落し、父プレインビューと息子の二項対立が物語を支配する。つまりPTAにおける母性は、これまで不在のまま語られてきたのだ。
『ワン・バトル・アフター・アナザー』©2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
中期以降の作品になると、母性の介入が物語の転換点となる。『パンチドランク・ラブ』のワチャワチャ7人姉妹は、過剰なくらい主人公に干渉するものの、彼が自立するきっかけにもなっていた。『ファントム・スレッド』では、アルマの愛情がレイノルズの一方的な支配を崩し、ふたりの関係を「頼る・頼られる」から「共に生きる」ものへと変えていく。ここでは母の存在は薄れるどころか、むしろ物語を揺さぶり、新しい関係を生み出す力になっている。
その流れを踏まえると、『ワン・バトル・アフター・アナザー』における母ペルフィディアの不在は、PTA作品史における大きな反復と断絶の両方を示している。過去作のように、母親は不在なるものとして位置付けられるものの、同時に彼女の裏切りが物語を駆動する決定的な契機ともなっている。母性はただの空白ではなく、娘の主体性を立ち上げるためのトリガーなのだ。
父の無力さと母の不在が交錯することで、子であるウィラがその双方を引き受けて新しい物語を紡ぐ。PTAの映画史において初めて、“母の不在”そのものがドラマの中心に置かれた。だからこそ、ペルフィディアは強烈なキャラクターとして画面に刻まれるのだ。ロックジョーに破廉恥な行いを要求し、ミッション遂行中に愛を確かめ、膨らんだお腹をさらしてマシンガンをぶっ放すような、暴走ヒロインとして。
彼女は後半姿をほとんど現さないにも関わらず、それでも誰よりも強く物語を支配している。