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『ワン・バトル・アフター・アナザー』PTA映画における新たな父性のかたち ※注!ネタバレ含みます

©2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.

『ワン・バトル・アフター・アナザー』PTA映画における新たな父性のかたち ※注!ネタバレ含みます

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居場所を差し出す者、奪う者



 主人公は、革命組織〈フレンチ75〉に身を投じたボブ(レオナルド・ディカプリオ)。彼の仲間であり恋人のぺルフィディア(テヤナ・テイラー)は、過激な闘争の果てに裏切りと弾圧の渦へと呑み込まれ、組織から引き裂かれていく。やがて彼女は娘を捨てて密告者となり、ボブはひとり娘ウィラ(チェイス・インフィニティ)を抱えて身を潜めることに。そして16年後、白人至上主義に染まった宿敵ロックジョー(ショーン・ペン)が再び彼らに迫りくる。


 16年後のボブは、薬物に耽溺し、革命への未練すら喪失した、どうしようもない男だ。世界を変えるという情熱はとうに潰え、父としての責任も果たせず、娘ウィラからも見放されている。彼女に危険が迫っていることを知り、何とか救出に向かおうとするが、ビルから転げ落ちてあっさり警察に捕まり、車から飛び降りろと言われても決断できず、〈フレンチ75〉に連絡しても合言葉を思い出せない(やがて、電話相手に罵声を浴びせ続ける珍妙なシーンへと展開する)。


 その一挙手一投足が、父としての“無力さ”を浮かび上がらせる。物語の中心で行動するのは娘ウィラであり、ボブはただ狼狽するのみ。スティーブ・マックイーン主演の『ブリット』(68)を彷彿とさせる勾配だらけのカーチェイスでも、果敢に状況を切り開いていくのはウィラであり、ボブは完全に傍観者の立場に追いやられている。



『ワン・バトル・アフター・アナザー』©2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.


 一方でロックジョーは、白人至上主義的イデオロギーを体現する存在でありながら、実際にはペルフィディアとのあいだに子をもうけた“実父”だ。彼にとって娘ウィラは愛情を注ぐ対象ではなく、自らの父権的イメージを脅かす危険な証拠にすぎない。だからこそ彼は、父であることを引き受けるのではなく、それを必死に隠蔽しようとする。その姿は、血統と権威の維持のため、自己の支配的イメージを守るために、子を追い詰める暴君でしかない。


 この対比は痛烈だ。ボブは何もできない落伍者でありながら、血のつながりのない娘のそばに立ち続けようとしてもがく、“居場所を差し出す父”。一方でロックジョーは、実の親でありながら、娘を守るどころか自らの権威を守るためにその存在を消し去ろうとする“居場所を奪う父”。


 『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、父親を血縁や権威ではなく、寄り添い、共に時間を生きる存在として捉え直す物語だ。暗殺者を待ち伏せして射殺し、追いついてきたボブと再会したウィラが、「あなたは誰?」と尋ねると、ボブが「父さんだ」と答える場面は、だからこそ感動的なのである。


 初期作品では“不在”として現れ、中期には“支配者”として肥大化し、『ザ・マスター』では“脆弱な権威”として崩れ、『ファントム・スレッド』では相互依存の関係性の中で再編されてきた父親。そして本作に至って、ついに“無力で、娘に居場所を奪われる存在”へと行き着く。


 『ワン・バトル・アフター・アナザー』が描くのは、英雄としての父ではなく、傷つき、挫折しながらも、なおそこに居続けようとする姿だ。その背中の向こうに見えてくるのは、父から子へと物語が移り変わっていく瞬間。まさに新しい時代の幕開けである。




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