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『メガロポリス』コッポラによる美獣乱舞の世紀、未来の想像力へのバトン

© 2024 Caesar Film LLC All Rights Reserved.

『メガロポリス』コッポラによる美獣乱舞の世紀、未来の想像力へのバトン

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『メガロポリス』あらすじ

21世紀、アメリカ共和国の大都市ニューローマでは、享楽にふける富裕層と苦しい生活を強いられる貧困層の格差が社会問題化していた。市の都市計画局局長を務め、名門クラッスス一族の一員でもある天才建築家カエサル・カティリナは、新都市メガロポリスの開発を推進する。それは、人々が平等で幸せに暮らせる理想郷(ユートピア)だった。だが、財政難の中で利権に固執する市長のフランクリン・キケロは、カジノ建設を計画し、カエサルと真正面から対立する。また一族の後継を目論むクローディオ・プルケルの策謀にも巻き込まれ、カエサルは絶体絶命の危機に直面するが─。


Index


美獣乱舞、無謀な勇気



 天才建築家カエサル・カティリナ(アダム・ドライバー)がニューヨークの巨大建築物の上から身を投げようとする。カエサルは文字通り決死の賭けに出ている。“生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ”。カエサルは一か八かの賭けに勝利する。この世界を生き延びる猶予を獲得する。メガロポリスという前代未聞のユートピアを建設する勇気を獲得する。このファーストシーンは、まさしくフランシス・フォード・コッポラ監督による“宣言”だ。コッポラは私財1.2億ドルを投じて『メガロポリス』(24)という巨大な映画=都市を建設する。近未来都市メガロポリスは、かつてゾエトロープ・スタジオを建設することで、“もう一つのハリウッド”を作ろうとしたコッポラ自身の終わりのない夢が投影されているように思える。カエサルがスコープを覗き込み、俯瞰で街全体を見渡すショットにコッポラのイメージが重なっている。



『メガロポリス』© 2024 Caesar Film LLC All Rights Reserved.


 手に負えないほど大きなスケール。無謀な夢。美学的な過剰さの中にロマンを追い求めた『ワン・フロム・ザ・ハート』(82)の興行的な失敗により、コッポラは破産し、ゾエトロープ・スタジオは“夢の跡”となった(しかし『ワン・フロム・ザ・ハート』を偏愛する映画作家は後を絶たない)。『メガロポリス』は『ワン・フロム・ザ・ハート』やゾエトロープ・スタジオが担っていたロマンと語り合うような大作だ。ファーストシーンのカエサルのように、コッポラは再び無謀なロマンに向けた一歩を踏み出す。この映画作家による成功と失敗のスケールは、まったくもって桁違いだ。コッポラは作り方の分からない映画を制作する。かつてジャン=リュック・ゴダールは、「あなたが映画を作るのではない。映画があなたを作るのだ」と語った。コッポラが映画を作るのではない。映画がコッポラを形作っていく。コッポラは出来のよい優等生のような映画を撮らない。そして均質化されていく世界に抗うためには、コッポラのような無謀なロマンが必要だ。


 特に前半1時間強に渡る、受け止めきれないほどの過剰なイメージの乱舞に幻惑されがちだが、『メガロポリス』の物語の筋自体はそれほど複雑なものではない(筆者は2回目の鑑賞の際に気づいた)。カエサルの瞬間的なフラッシュバックや短い回想シーンは挿入されるものの、本作は時間軸に沿って物語を進めていく。『コッポラの胡蝶の夢』(07)で描かれた“時間旅行”の方が、むしろ複雑な物語構成を持っていたことに気づく。しかしそれでも『メガロポリス』という作品は、初見の際、多くの観客を当惑させるだろう。この類稀なる大作には、聖と俗、美と醜の間を頻繁に行き交うことを怖れず、時代錯誤さえ上等な、まさしく“美獣乱舞”のイメージが結晶化されている。コッポラは20世紀の映像表現の美醜と功罪、夢の跡を総括した上で、新たな時代へ向けた無謀なスペクタクルの是非を問いかける。『メガロポリス』が演劇やサーカス、オペラ等、多くのスペクタクルに溢れているのには理由がある。





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