動く歩道、想像力という名のバトン
ジュリアはカエサルが設計した未来都市のミニチュアの中を歩く。レトロフューチャーな趣のある金色の“動く歩道”はこの未来都市の象徴のようだ。『メガロポリス』においてコッポラは映画創成期のイメージを呼び起こしている。1900年のパリ万国博覧会で披露された“動く歩道”の映像は、リュミエール兄弟の作品で構成された傑作ドキュメンタリー映画『リュミエール!リュミエール!』(24)にも登場する(この作品にコッポラはゲスト出演している)。
『メガロポリス』におけるサイレント映画への回帰には、家族が撮った8ミリフィルムのホームムービーに音声を重ねて上映していた、子供の頃のコッポラの無邪気な姿が重なっている。それだけでなく、100年以上前の人々が持っていた想像力と天才性への讃歌でもある。月をこの手につかむような、子供のように無邪気で壮大な想像力への讃歌。そのイメージは、コロッサスのサーカスのようなスペクタクルシーンで炸裂している。
『メガロポリス』© 2024 Caesar Film LLC All Rights Reserved.
時を止めるという発想自体が、子供のような想像力に溢れている。野心的なニュースキャスターであるワオ・プラチナム(オーブリー・プラザ)とジュリア。カエサルの対照的な2人の恋人は、共に“自由の女神”のポーズをとる。カエサルの前で“時を止める”。カエサルや権力に対して隷属的な激しさを感じさせるワオに対して、ジュリアのキャラクターはほとんど飾り気がなく冷静だ。2人の“自由の女神”。どちらが本当に自由を纏っているのか。おそらくカエサルは、ジュリアの中に自分に隷属することのない自由を感じとっている。何よりジュリアは恐怖に隷属することのないキャラクターだ。オーブリー・プラザとナタリー・エマニュエルの演技プランは、本作に炎と氷のような対照的な2人の女性像を浮かび上がらせることに成功している。
「怖くなったときにいつもすることは、より新しく、より大きく、より大胆でエキサイティングなプロジェクトに飛び込むことだ」(フランシス・フォード・コッポラ)*
想像力と恐怖の関係。『メガロポリス』にはアメリカの衰退と再建への希望が描かれている。コッポラは人々の想像力を信じよと主張する。恐怖に隷属するなと主張する。この映画は20世紀の美醜と狂騒のスペクタクルを建築のようにフィルムに凍らせ、未来の再建に向けた想像力のバトンを私たち観客に受け渡そうとしている。
*「Sight and Sound Magazine : the October 2024 issue」
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
『メガロポリス』を今すぐ予約する↓
『メガロポリス』
全国公開中
配給:ハーク、松竹
© 2024 Caesar Film LLC All Rights Reserved.