『地獄の黙示録』あらすじ
1960年代末、ベトナム戦争が激化する中、アメリカ陸軍のウィラード大尉は、軍上層部から特殊任務を命じられる。それは、カンボジア奥地のジャングルで、軍規を無視して自らの王国を築いているカーツ大佐を暗殺せよという指令だった。ウィラードは4人の部下と共に、哨戒艇でヌン川をさかのぼる。
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スティーヴ・マックィーンも降板したカーツ大佐役
映画製作に交代劇はつきものだ。「この役はもともと誰々が演じるはずだった」とか「企画に参加していたのはあの監督だった」とか云々。企画から公開まで3〜4年の期間を要すると言われているハリウッドの映画界は、そんな裏話であふれている。そして、映画史上でも特に有名な『地獄の黙示録』(79)における交代劇は、「別の異なる映画ができたのではないか?」という可能性さえ感じさせるのだ。よって、ここに記すのは「たられば」の話である。
ジョセフ・コンラッドの小説「闇の奥」は、オーソン・ウェルズも映画化を夢見た企画。1939年に頓挫したことで、彼の監督デビュー作は、あの『市民ケーン』(41)になったという経緯がある。さらに時代を経た1969年。映画製作会社アメリカン・ゾエトロープを設立したフランシス・フォード・コッポラは、ジョージ・ルーカスとジョン・ミリアスが南カリフォルニア大学在学時に企画していた「闇の奥」の映画化を譲り受けることになる。当時はヴェトナム戦争の真っ只中。「闇の奥」の設定を、アフリカからヴェトナムに置き換えたルーカスとミリアスの企画は、撮影自体が困難だったのだ。
『地獄の黙示録』(c)2019 ZOETROPE CORP. ALL RIGHTS RESERVED.
その後、『ゴッドファーザー』(72)の成功で億万長者になったフランシスは、「闇の奥」に対する製作費1,300万ドルを自己調達。「闇の奥」の映画化は、『地獄の黙示録』として現実のものとなってゆく。これらの経緯・過程は、フランシスの妻であるエレノア・コッポラが著した「ノーツ コッポラと私の黙示録」(文庫化の際は「『地獄の黙示録』撮影全記録」に改題)に詳しいが、彼女が記録のために(時にフランシスには無断で)録音したテープの音源や撮影されたビデオの映像を基に再構成したドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』(91)は、「もうひとつの地獄の黙示録」とも言える内容になっている。「闇の奥」の原題が「Heart of Darkness」=「ハート・オブ・ダークネス」であることを意識したタイトルだから尚更だ。
ジャングルの奥地に自身の王国を築いたカーツ大佐を演じるマーロン・ブランドは、撮影現場へ脚本に書かれたイメージとは異なる姿で現れた。健康状態の優れない身体というカーツ大佐の設定は、肥満状態にあったブランドの体型に合わせて「物語そのものも変更した」とフランシスは述懐。撮影現場では、自身の健康管理不足や役作り不足に対する反省などなく、逆にキャラクター造形に対して一貫性のない自身の主張を現場で通すなど、ブランドの起用は混乱を生む要因のひとつだったと言われている。
『地獄の黙示録』(c)2019 ZOETROPE CORP. ALL RIGHTS RESERVED.
そもそもカーツ大佐役のキャスティングは難航したという経緯もあった。例えば、当初候補だったスティーヴ・マックィーンは、『パピヨン』(73)での過酷な撮影に懲り、ジャングルでの撮影は引き受けられないと降板していた。