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『タッカー』夢に挑む男たち、フランシス・フォード・コッポラとプレストン・トマス・タッカー

『タッカー』夢に挑む男たち、フランシス・フォード・コッポラとプレストン・トマス・タッカー

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コッポラが抱いた少年時代の車への夢



 映画監督には、どうしても作りたい“夢の企画”というものがある。それは長年、幻の企画として温存されることが多く、その監督が成功をつかんだ後に実現することが多い。フランシス・フォード・コッポラ監督にとって、『タッカー』はそうした“夢の企画”の1本だった。学生時代からいつかは撮りたい題材として、頭の中にあったという。


 この映画は独創性あふれる車作りをめざしたプレストン・トマス・タッカーの物語。舞台は40年代後半のデトロイト郊外。彼が起業家として立ち上がった時、アメリカの車業界はフォード、GM、クライスラーといった大手三社が牛耳っていた。タッカーはデザインの美しさや性能だけではなく、安全性にも配慮した革新的な物作りをめざそうとするが、新参者を快く思わない大手企業や政治家の介入で、タッカー社は詐欺罪で訴えられ、窮地に立たされる。



 コッポラ自身がタッカー社の車に出会ったのは、子供の頃だったという。その斬新で美しいデザインにすっかり魅了され、未来の車だと信じた。クラシックの音楽家だった父、カーマイン・コッポラは前金を払ってこの車をオーダーするが、結局、やってこなかった。タッカーの会社が倒産したからだ。


 「“彼は業界を追放された。車が良すぎたせいだ”と父は言った。どうして、いいものを作ったら会社が傾くのか、この時は理解できなかったが、今は分かる」コッポラは後にアメリカの映画雑誌「American Film」(88年6月号)のインタビューで、そう答えている。結局、大手組織の力で独立系の会社はつぶされていく。


 そんな幼年期の体験を経て、タッカー本人への興味がふくらみ、コッポラは映画化を考えるようになった。学生時代には『市民ケーン』(41)のように暗くて重厚な作品(舞台劇)を想定していた。しかし、次に企画したのはミュージカル。『ウエスト・サイド物語』(61)で知られるアメリカを代表する音楽家、レナード・バースタインの承諾を得て、『雨に唄えば』(52)の脚本家・作詞家コンビ、ベディ・カムデンやアドルフ・グリーンも巻き込み、映画化を進めようとしたが、結局、話は立ち消えとなる。




 1970年代のコッポラは2本の『ゴッドファーザー』(72、74)や『地獄の黙示録』(79)といった歴史に残る大作を撮ることで、ハリウッドの巨匠としてゆるぎない地位を築くが、82年のミュージカル『ワン・フロム・ザ・ハート』が興行的に失敗して、自身が経営していたゾエトロープ・スタジオは倒産の憂き目をみた。


 その後は『アウトサイダー』(83)、『ランブルフィッシュ』(83)、『コットン・クラブ』(84)といった商業的な作品をこなし、借金の返済に追われるようになるが、そんな時、“夢の企画”に手を貸す人物が現れる。それは『スター・ウォーズ』シリーズ(77~)で知られるジョージ・ルーカスだった。



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