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『タッカー』夢に挑む男たち、フランシス・フォード・コッポラとプレストン・トマス・タッカー

『タッカー』夢に挑む男たち、フランシス・フォード・コッポラとプレストン・トマス・タッカー

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コッポラとルーカス、ふたりの友情



 今では『スター・ウォーズ』のように華やかなSF映画の作り手というイメージが強いジョージ・ルーカスだが、キャリア初期においては別の方向も模索していた。


 若きルーカスがコッポラ監督に出会ったのは1968年のこと。当時のコッポラはフレッド・アステア主演のミュージカル映画『フィニアンの虹』を大手スタジオで手掛けていて、ルーカスは彼のアシスタントとなって、この映画に参加した。それが縁でコッポラと友情の芽が育ち、コッポラの次の小品『雨のなかの女』(69)のロケにも参加する。


 そして、コッポラはルーカスの監督デビュー作『THX 1138』(71)の製作に協力することとなる。コッポラは若き日のルーカスの才能を信じて疑わなかった。コッポラは次に彼の代表作の1本となる『アメリカン・グラフィティ』(73)の製作も担当した。最初は、ユニバーサル映画の上層部にはその良さが理解してもらえず、あわやお蔵になりかけたが、そこを強行突破できたのはコッポラの力。結局、映画は公開されて、大成功を収める。



 その後のルーカスは『スター・ウォーズ』シリーズで大成功をおさめ、スピルバーグ監督と組んだ『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~)の製作も手掛け、アメリカで最もお金が稼げるフィルムメイカーのひとりとなった。


 一方、70年代はパワフルな活躍ぶりを見せていたコッポラは、前述の『ワン・フロム・ザ・ハート』で大きな負債を背負ってしまう。80年代に入って、興行の世界ではふたりの明暗が大きく分かれてしまった。結局、『タッカー』では『アメリカン・グラフィティ』とは立場が逆転して、ルーカスが製作、コッポラが監督となった。当時の映像インタビューを見ると、ルーカスは「コッポラからストーリーテリングについて学んだ」と語り、コッポラは「編集など技術的な部分でルーカスにいろいろ教えられた」と言っている。


 ルーカス自身はもともと車が大好きで、映画の世界に入る前は車の技術者をめざしていて、レースなどに出場したこともある(大けがを負ったこともあった)。そんな彼のカー・マニアぶりは『アメリカン・グラフィティ』の車同士のレース場面にも表れていた。タッカー車に思い入れのあるコッポラと車好きのルーカスが、この作品にたどりついたのも自然な流れだったのかもしれない。完成した映画は、かつて予定していたようなミュージカルではないが、悲劇的な要素を含みつつも、陽気で、楽観的なトーンで貫かれている。



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