そして風になる
アルベール・ラモリスによる『赤い風船』のスチールブック(写真絵本)には、映像が文章にされることの新鮮な驚きがある。映画本編がどれほど映像の力で語られていたかを思い知らされる。メニルモンタンの風景をフレーミングする。俳優の身振りを捉える。風船という“生き物”の予測不能性を捉える。スクリューボール・コメディ映画的な楽しさに溢れた『フィフィ大空をゆく』に明らかなように、アルベール・ラモリスの映画にはサイレント映画~古典映画の資質がある。飛行と天使と泥棒とコメディ。『フィフィ大空をゆく』は、ある意味でアルベール・ラモリスのルーツがもっとも刻印された映画といえる。この映画の中でフィリップ・アブロン演じる天使=堕天使は、空を飛び、時計を盗むのである(時間泥棒!)。また、『赤い風船』のスチールブックに記された文章の中にはアルベール・ラモリスという映像詩人のコアに触れるような興味深い描写がある。それは悪ガキたちに風船を盗まれ追いかけられる少年が、まるで風船を“盗んだ”ように見えるという反転の描写である。おそらくアルベール・ラモリスは、天使であることと泥棒であることの間、その両義的な反転の中に“詩”を見ている。
『赤い風船』は生命を吹き込む。詩を吹き込む。赤い風船を持った少年は、バスへの乗車を断られる(ペットとの同伴を断られるように)。明くる日のシーンで赤い風船は、少年の手を離れ、バスに乗った少年を追いかける。バスを追いかける風船という、この上なく喜びに溢れたシーンが展開される。赤い風船は生命や運動を吹き込む触媒となる。ある日、少年は街角のフリーマーケットで小さな女の子が描かれた絵画に目を奪われる。少年は路上で絵画の少女によく似た女の子とすれ違う。少女は青い風船を持っている。赤い風船は少年の手を勝手に離れ、青い風船に挨拶をする。このとき青い風船は赤い風船によって個性を与えられる。無生物、無個性だった青い風船に生命が吹き込まれる。

『赤い風船 4K』© Copyright Films Montsouris 1956
そして生命には必ず死が訪れる。赤い風船の死は、サウンドトラックや背景音が止まり、静寂の中で少年や観客にその死を直視するように捉えられる。観察的に。痛ましいまでに。風船はゆっくりとしぼんでいく。生物の最後を見届けるように。ここにはアルベール・ラモリスの死生観が表わされている。生命の誕生と消滅へ向けられた両義的な詩がある。赤い風船の消滅は魔法の終わりを意味せず、再生へ向かっていく。燃えるような風船の赤色は、私たちの希望の灯として輝き続ける。そして風になる。微笑みになる。『赤い風船』は、誰もが風になることができると主張している。この映画の喜びに満ち溢れたラストは、映画を地上から解放することに憧れ、風そのものになることを望んだアルベール・ラモリスの魂と重なり続けている。
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『赤い風船 4K』
シネマート新宿ほか全国順次公開中
配給︓セテラ・インターナショナル
© Copyright Films Montsouris 1956