『旅と日々』あらすじ
強い日差しが注ぎ込む夏の海。ビーチが似合わない男が、陰のある女に出会い、ただ時を過ごす――。脚本家の李は行き詰まりを感じ、旅に出る。冬、李は雪の重みで今にも落ちてしまいそうなおんぼろ宿でものぐさな宿主、べん造と出会う。暖房もなく、布団も自分で敷く始末。ある夜、べん造は李を夜の雪の原へと連れ出すのだった……。
Index
消滅と再生の映画
“シーン1 夏 海辺”
“行き止まりに一台の車”
ノートPCではなく、鉛筆とノート。『旅と日々』(25)は、李(シム・ウンギョン)が脚本を書くシーンから始まる。李はフィクションの欠片をつかまえようとしている。頭に浮かんでくるイメージの点と点を結び付けようとしている。宙に鉛筆を浮かせ、机の前で一時停止したような李。イメージが走り出すと、筆が走り始める。この美しいジェスチュアに導かれ、映画に生命が宿っていく。カメラ万年筆論。李の構えた鉛筆は“カメラ”となり、イメージを捕まえる。
シーン1、夏、海辺。行き止まりに一台の車。後部座席に寝そべる渚(河合優実)をフロントガラス越しに捉えたショット。フロントガラスには目まぐるしいスピードで動く雲が映り込んでいる。悪天候が近づいているのかもしれない。車の後部座席では、繭に包まれたような渚が胎児のような姿勢をとっている。夢の中にまどろむようなショット。渚が目を覚ますと、ボーイフレンドと思われる男性が車に乗り込み、ワイパーをかけ、フロントガラスの汚れ、曇りを取り除こうとする。夢の中にまどろんでいた渚を否定するかのように。二人の関係は終わりに近づいている。

『旅と日々』© 2025『旅と日々』製作委員会
外国人観光客で賑わう海辺で一人佇んでいる夏男。夏男は海の向こう側を見つめている。サングラスを通した濁った視界で。夏男は居心地の悪さを感じている。おそらく夏男は海の向こうの水平線にユートピアの可能性を夢想している。水平線はどこにあるのか。海と空の境目には何があるのか。そこは自分が消滅できる地点なのか。『旅と日々』は、風景と人物が溶け合う地点を探していく。この精神は、本作の原作である「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」で、つげ義春が試みた先鋭的な漫画表現と一致している。水平線に向かって泳ぐ夏男と、雪の絨毯の上をぎこちない足取りで歩く李。二部構成である本作には、“消滅と再生”が描かれているといえる。
地方の資料館に入った渚は、木々が描かれた絵に引き寄せられる。次のシーンで、渚は森の中へ入っていく。木々のざわめきが、あらゆる音を打ち消す。美しい風の響きが不穏なノイズになっていく。異界に一歩足を踏み入れてしまったような感覚。危険であることが分かりながら、魅了されてしまう感覚。その響きが純粋であればあるほど、木々のざわめきは恐怖と等しくなっていく。渚は森の中でとぐろを巻くような激しい風に包まれる。劇中の映画監督が言うように、ここには人間の孤独以上に純粋さがある。言葉として名付けられる前の純粋な驚きがある。渚は異界=海辺につながるトンネルを発見する。小さなトンネルをくぐる見事なカット割りが施されたシーンで、影に覆われた渚はシルエットのイメージへと変化する。このとき渚はついに風景と溶け合う。異界との“一体化”が完了する。