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『ケイコ 目を澄ませて』ステップ、そして美しいステップへ

©2022 「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

『ケイコ 目を澄ませて』ステップ、そして美しいステップへ

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『ケイコ 目を澄ませて』あらすじ

嘘がつけず愛想笑いが苦手なケイコは、生まれつきの聴覚障害で、両耳とも聞こえない。再開発が進む下町の一角にある小さなボクシングジムで日々鍛錬を重ねる彼女は、プロボクサーとしてリングに立ち続ける。母からは「いつまで続けるつもりなの?」と心配され、言葉にできない想いが心の中に溜まっていく。「一度、お休みしたいです」と書きとめた会長宛ての手紙を出せずにいたある日、ジムが閉鎖されることを知り、ケイコの心が動き出す―。


Index


彼女を見れば分かること



 東東京にある日本で現存最古のボクシングジム。窓の外では粉雪が控えめに舞っている。錆びついた器具の香りまで真空パックされたようなジムの空間に、コンクリートを擦る縄跳びの音が響き渡る。最初は単体だったその音に、古いトレーニング器具の金属音やサンドバッグを打つ音がどんどん重なっていき、ジムという空間に音楽的な響きが構成されていく。『ケイコ 目を澄ませて』(22)の音響構築には、ビート・メイキングのプロセスを聴くような楽しさがある。フレデリック・ワイズマンの傑作『ボクシング・ジム』(10)における「ワン・ツー、ワン・ツー、ジャブ」という言葉のリズムや、リング上でステップを踏むときに生まれるシューズの摩擦音の重なりのように、三宅唱はボクシングジムという空間を音楽的な儀式の空間へと変えていく。


 老朽化したボクシングジムの寂れた色味と、ケイコ(岸井ゆきの)と聖司(佐藤緋美)の姉弟が住むアパートの暖色系の色味が対照的だ。ジムから帰宅したケイコがドアを閉めると、聖司がアコースティックギターを爪弾く音色が聞こえてくる。しかしケイコは耳が聞こえないため、この音を感知することができない。もしケイコが聖司のギターの音を感知することができるとするならば、それは音の響き、空気の振動を感知しているということだろう。



『ケイコ 目を澄ませて』©2022 「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS


 アパートのドアは外の世界と内の世界の境界にある。ケイコがドアが閉める際の、微かな風圧を感じさせるようなフワッとした空気の変化。二人が住む部屋の色味とギターの音色は、肌寒い外の世界とは別の親密な世界があることを導いている。『きみの鳥はうたえる』(18)がそうだったように、三宅唱の映画はそこに住む登場人物の体温や部屋の温度をフレームに真空パックさせる。


 耳の不自由な女性ボクサーを描いた本作は、ヒロインの不自由さによって、観客の視聴覚を研ぎ澄ませていく。ボクシングジムのスタッフは手話ができず、ホワイトボードに言葉を書くことでケイコとコミュニケーションを取る。しかしトレーニングに関わることに限らず、すべてを書き言葉で伝達することはできない。コーチはゆっくりとした発声でケイコに語りかけている。ケイコの背は小さく、リーチも短いが、視力が優れている。毛玉の目立つ茶色のロングコートをいつも着ているケイコ。彼女は野良猫のように目を澄ませて、周囲の人々の身振りを観察している。ケイコが何かを要求するときの眼光の強さ。まるで昔からケイコであったかのように役を生きる岸井ゆきのが、圧倒的に素晴らしい。


 ただでさえハンデのあるケイコが、あえてボクシングという自らの身を危険に晒す選択をしている。彼女がボクシングを始めた本当の理由は誰にも分からない。たとえケイコが説明しなくても、それは「彼女を見れば分かること」なのかもしれない。言葉や身振りを介して、どこまで相手の領域に侵入することができるか、その可能性と不可能性が本作には描かれているといえる。16ミリフィルムの粗い粒子に収まるケイコという肖像は、有無を言わさぬ説得力を獲得している。ケイコは、この土地に確かに生きている。





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