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『ケイコ 目を澄ませて』ステップ、そして美しいステップへ

©2022 「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

『ケイコ 目を澄ませて』ステップ、そして美しいステップへ

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斜陽の記録



 『ケイコ 目を澄ませて』は、斜陽を描いた映画でもある。三浦友和が演じる会長の体調悪化と共に老舗ボクシングジムは閉鎖される。それは現在の東京の斜陽、そして多くの会社が倒産したコロナ禍の世相、私たちの住む世界の斜陽と重なっている。浅草の駅前を行き交うマスクをした人々。なんでもない風景の生々しさ。会長の計らいで紹介された移籍先のジムには最新の設備が整っている。ケイコの所属するジムとは対照的な、無臭で清潔なジム。ケイコとのコミュニケーションもホワイトボードではなく、タブレットを使用している。しかしこの清潔なジムにケイコの居場所はない。


 ケイコは夜の高架下で警察に職務質問される。警察がケイコを照らす小さな懐中電灯が暴力的だ。高架の左右から行き交う電車の光。耳をつんざくような騒音。本作において電車の走行音は、リングを擦るシューズと同じくらい強い音として耳に残り続ける。光の明滅がケイコの輪郭を浮かび上がらせる。傷だらけだが、ケイコの輪郭は強い。彼女がなぜ淀んだ河の側にいるのかは分からない。



『ケイコ 目を澄ませて』©2022 「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS


 「勝手に人の心を読まないで」


 ケイコの心を読もうとした聖司は、たしなめられる。このケイコの言葉=手話に思わずハッとさせられるのは、相手の表情や身振りから何かを解釈しようとしている自分自身への問いかけがそこにあるからだ。相手のことを分かったつもりになっていないか?ということ以上に、そもそも相手の心に侵入することは果たして許されることのか?という倫理の境界が問われている。どこまでが可能なコミュニケーションでどこからが不可能なコミュニケーションなのか。本作には様々な境界が示されている。聖司の恋人(中原ナナ)によるぎこちない手話。イヤホンから聞こえる音だけでケイコの試合に固唾をのむジムの会長。耳を澄ませて聞くケイコの息遣い。会長の固く握られた拳は、小刻みに震えている。


 心地のよいリズムとブレのあるフロウ。ケイコの息遣い、河の淀み、東京の斜陽。本作はぎこちなさをブレのあるフロウとして映画に刻み付ける。登場人物たちは、相手の身振り=フロウから、ほんの僅かなサインを受け取る。すべてを受け取ることはできないが、そのサインがあれば明日を生きていける。それは私たちの道しるべとなる。フットワークの伝播。ステップ、そして美しいステップへ。現在の日本でこの傑作が生まれたことに、心からのありがとうを贈りたい。



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。



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作品情報を見る



『ケイコ 目を澄ませて』

12月16日(金)よりテアトル新宿ほか全国公開

配給:ハピネットファントム・スタジオ

©2022 「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

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