2022.12.19
雪と河、マイムレッスン
三宅唱は長編デビュー作『やくたたず』(10)で、北海道を舞台にした少年たちの映画を撮っている。モノクロームで描かれたこの驚くべきデビュー作は、降り積もった雪の重量を感じさせる作品だ。少年たちにとって雪は美しいものではなく、むしろ歩行にハンデを与えるものとして描かれている。降り積もった雪の中で少年たちが車を押す姿が忘れられない。雪道の険しい歩行は、時代劇『密使と番人』(17)にも描かれている。三宅唱の映画にとって雪のイメージは、美しさと煩わしさの両義性を備えている。『ケイコ 目を澄ませて』の冒頭に降る粉雪は、ジムに射しこんだ自然光の中に舞う埃と映像的な韻を踏んでいる。そしてケイコが一人で頻繁に向かう河は淀んでいる。臭気さえ伝わってくるような河。私たちがよく知っている東京の河だ。
また、三宅唱が学生時代に撮った『マイムレッスン』は、パントマイムのレッスンが描かれた傑作短編。『ケイコ 目を澄ませて』に通じる、身振りが身振りの役割を超えていく映画といえる。そして『密使と番人』や『きみの鳥はうたえる』に出演した石橋静河との出会いが、三宅唱の映画における身体性を更新したのではないかと推察する。それほどまでに『きみの鳥はうたえる』の石橋静河は、彼女を追っているだけで映画として成立するような身体のしなやかさを披露している。指の先まで神経が行き届いたような彼女の身体のしなやかさは、三宅映画のカメラのしなやかさ、編集の滑らかさと見事に共振している。カメラで記録しながら、その場その場で俳優の身体性を発見していくような、映画作家の驚きが作品に記録されている。それは『ケイコ 目を澄ませて』で、言葉を発さないケイコ=岸井ゆきのに繋がっていく。
『ケイコ 目を澄ませて』©2022 「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
『ケイコ 目を澄ませて』の興味深いシーンの一つに、ケイコが聾唖の友人たちと食事をするシーンがある。このシーンでは、これまでのシーンのように手話に対する字幕は付かず、手話の分からないほとんどの観客にとって、彼女たちの身振りによって話の内容を推察するしかなくなる。耳の聞こえないケイコの状況が、映画を見る観客の体験へと反転されている。ケイコにとって声だけで接してくる相手は、このような状況に近いのかもしれない。私たちは彼女たちの身振りに、いつも以上に目を澄ます。
本作ではトレーニング風景が繰り返される。その意味で試合本番に向けたリハーサルの映画ともいえる。レッスンは続く。そしてリングの上でステップを踏む身振りや、ボクシングジムの大きな鏡が、三宅映画における身振りの美しい到達点を示すことになる。