マンキウィッツvsザナック格闘の末
当時、マンキウィッツが籍を置いていた20世紀フォックスには、無駄なショットをバッサバッサと切り捨てる“カットの達人”として恐れられたスタジオ責任者のダリル・F・ザナックがいた。キャラクターの削除と追加を行ったマンキウィッツの草案に目を通したザナックは、セルマ・リッターが演じるマーゴの付き人バーディが、当初からイヴに対して抱いていた不信感を和らげるようマンキウィッツに指示する。観客がそのことに気づくのをなるべく遅らせるためだ。ザナックはその他にも数箇所のカットや修正を指示し、結果、原稿は当初の223ページから180ページに短縮される。脱稿した脚本を手に、マンキウィッツがプリプロダクションに着手したのは1950年の4月のことだった。
ザナックの指示があろうがなかろうが、目の肥えた映画ファンは意外に早くからイヴの胡散臭さに気づいている。知らなかったのは、劇場の楽屋口にわざとらしく毎夜佇むイヴ(アン・バクスター)の身の上話に絆されて、思わず、イヴをマーゴ(ベティ・デイヴィス)に引き合わせてしまった劇作家ロイド(ヒュー・マーロウ)の妻・カレン(セレステ・ホルム)であり、マーゴではなくイヴを新作の主演に据えることを考えるロイドである。マーゴは当初、イヴの悲しい過去と控えめな態度に同情して一旦は気を許すが、次第にイヴに対する疑心暗鬼からナーバスになっていく。そこに、老いの恐怖が重なって余計にヒステリックになるところが悲しい。

『イヴの総て』(c)Photofest / Getty Images
そんなマーゴと思わず喧嘩別れしてしまう年下の舞台監督、ビル(ゲイリー・メリル)が真実に気づくのは若干遅きに失する。ここではショービズ界の裏側を嫌というほど見てきたバーディの嗅覚が正常だったということになる。
それにしても、イヴが隠し持っていた本性を遂に露わにする後半の件は、まるでサイコスリラーの様相。マンキウィッツが手腕を発揮する箇所だ。この物語のキーパーソンはもちろん、清純な風情を漂わせつつ、あらゆる手段を行使してスターダムを駆け上がる恐るべきヴィラン、イヴなのだが、ブロードウェーで多大な影響力を持つ劇評家のアディソン(ジョージ・サンダース)が、最後にジョーカーとして毒消し役を担うのもお愉しみの一つだ。
ハリウッドクラシックとして燦然と輝く『イヴの総て』の愉しみ方は、イヴの悪役ぶりそのものよりもむしろ、そんな人物に翻弄され、猜疑心に取り込まれ、本質を見失っていく劇場関係者のあまり同情できない姿から、人間の弱さを実感し共感することなのではないだろうか。