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『ぐるりのこと。』時代をまたいでなお揺るぎなく胸に届く“人間を信じる力”

©2008 『ぐるりのこと。』プロデューサーズ

『ぐるりのこと。』時代をまたいでなお揺るぎなく胸に届く“人間を信じる力”

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翔子は「橋口自身」であり、カナオは「自分には分からない他者」



 橋口亮輔は公開当時、数々のインタビューで「翔子は僕だ」と語っている。うつを経験した自身の感情を、主演の木村多江が全身全霊で受け止めた。その演技はドキュメンタリーのような生々しさを帯びている。


 一方でカナオは、橋口にとって“他者”だったという。自分とはまったく違う温度を持つ人物を初めて映画の中心に据えたことが、この作品を監督の転換点にした。その役を担ったのが、当時ほぼ演技経験のなかったリリー・フランキー。石井輝男監督の『盲獣vs一寸法師』(01/劇場公開04)や杉作J太郎監督の『怪奇!!幽霊スナック殴り込み!』(06)など数本の出演歴しかなかった彼だが、ベストセラーとなったリリーの自伝的小説「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(05/新潮社)を読んだ瞬間、「ここにカナオがいる」と橋口は直感したという。そしてのちに引っ張りだこの名優になる、当時45歳だった“新人俳優”の最高純度の演技がここに刻まれた。


 例えば、序盤のコミカルな痴話喧嘩のシーン(筆者は『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(75)の有名な「メロン騒動」に倣って、勝手に「口紅・バナナ論争」と呼んでいる)。夜遅く帰宅したカナオに、翔子が淡々と「週3回の約束の日だから」と誘う。しかしカナオは色気がないと不満を漏らし、こう続ける。


「じゃあさ、口紅してよ」 

「はあ? なんで口紅しなきゃいけないの?」

「家に帰って来てだよ、バナナ食いながら怒ってる女なんてさ……」


 学生時代からの腐れ縁の空気が、一瞬でユーモラスに立ち上がる名シーンだ。橋口亮輔監督は、リハーサル段階でエチュード(即興劇)を導入する独自の演出法で知られている。PFFアワードグランプリを受賞した『夕辺の秘密』(89)など、自主映画時代からすでに実践していたというその方法は、役者に「本物の関係性」と「フィクションの記憶」を刷り込むためのものだ。



『ぐるりのこと。』©2008 『ぐるりのこと。』プロデューサーズ


 例えば台本を読む前に、まず登場人物の“出会い”から始め、付き合い始めるまでの時間を即興で体験させる。もし映画が「付き合って10年の夫婦」から始まるなら、役者はその10年間を、何日もかけて積み重ねる即興の中で実際に生きることになる。脚本には描かれない日常──ダラダラ過ごす午後や、些細な揉め事──といった場面を演じることで、役者が用意してきた“上手な芝居”は剥ぎ取られ、反射的で本質的な感情だけが残る。


 こうして脳内に刻まれたエチュードの記憶は、撮影が始まる頃には本物の生活のような温度を帯び、役者は「役を演じる」のではなく「その人物として現場に立つ」状態へと変わる。木村多江とリリー・フランキーは、このプロセスによって私生活と役の境界が曖昧になるほど同化し、まるで本当の夫婦のように現場に居られたと語っている。




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