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『ハッシュ!』感情や価値観がぶつかり、跳ね返る。橋口流「ピンボールコメディ」の真髄

©2001 SIGLO

『ハッシュ!』感情や価値観がぶつかり、跳ね返る。橋口流「ピンボールコメディ」の真髄

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改めて心の底から感じ入る。なんて凄い映画なんだろう!と。



 2001年に完成し、同年5月の第54回カンヌ国際映画祭・監督週間でワールドプレミア上映。翌2002年に一般公開された橋口亮輔監督(1962年生まれ)の大傑作『ハッシュ!』が、ついに4Kリマスター版として、2026年7月24日(金)からスクリーンに戻ってくる。しかも次作『ぐるりのこと。』(08)との同時公開。まさに夢のような機会だ。


 高校時代から8mmカメラで自主映画を撮り始めた橋口監督。PFFスカラシップ作品として鮮烈なデビューを飾った『二十才の微熱』(93)を皮切りに、ロッテルダム国際映画祭でグランプリを獲得した『渚のシンドバッド』(95)で世界的な注目を集め、圧巻怒涛の人間群像劇『恋人たち』(15)、そして最新作『お母さんが一緒』(24)へと至る計6本の長編は、寡作ながら作家自身の人生が脈打つ“血の色をしたシネマ”(ジョナス・メカス)であり、同時に大衆映画としての広がりを獲得した珠玉作ばかりだ。唯一無二のシネアストとして、常に日本映画の“現在”を更新してきた橋口亮輔。そのフィルモグラフィの中心に位置し、作家性の核を決定づけた作品こそ、『ハッシュ!』と言えるだろう。


 描かれるのは、ゲイカップルと一人の女性の物語。血縁でも婚姻制度でもなく、ただ「誰かとつながりたい」という切実な欲求から生まれる共同体。橋口はこの“新しい家族のかたち”を、四半世紀前の段階で(!)、社会的主張ではなく生活のディテールとして描いた。SNSやAIが浸透し、他者との関係が多様な変質を見せている2026年の現在にこそ、この映画は驚くほど鋭く、先駆的かつ普遍的に、そして何よりも無上に温かく響く。


“オリジナルな家族の作り方”を、等身大の都市生活者のディテールとして



 映画の冒頭は、高橋和也演じる直也の部屋で、彼と一夜を過ごしたゆきずりの男がベッドで目を覚ますシーンから始まる。相手の男はそっけなく部屋を出て行ってしまい、直也は「……なんだよ」と寂しそうな表情を浮かべる。この印象的なオープニングに続いて流れてくるのは、主題歌「Hush Little Baby」の軽快なリズムとメロディ。ボビー・マクファーリン(1988年の全米No.1ヒット曲「Don't Worry Be Happy」で知られる)とチェリストのヨーヨー・マが共演した楽曲だ(1992年のコラボレーション・アルバム『ハッシュ!』収録)。橋口監督はかねてからこの曲を愛聴しており、縁あって『ハッシュ!』では全編に渡りマクファーリンの音楽を使えることになった(当初デモテープとして制作していた未発表音源だったらしい)。「Hush Little Baby」は、もともとアメリカ合衆国の南部に古くから伝わる子守歌。『ハッシュ!』とは英語で「シッ!」という擬音。人差し指を立てて口に当てる「静かに」というサインの意味である。静かにしてほしい理由は、赤ん坊が寝ているから。


 さて、まもなく夜の街で直也は勝裕(田辺誠一)と出会い、そのまま付き合い始める。勝裕は土木研究所に勤める会社員で、ゲイであることは家族を含め周りに公表もしておらず、直也との関係もバレないように慎重に暮らしている。一方の直也はオープンリー・ゲイで、母親にもカムアウトしており、勤め先のペットショップでも自分を隠していない。勝裕との恋愛もできれば周囲に公表したいと考えている。そんな齟齬は抱えているものの、ふたりの仲は現状安定しており、共に幸せな日々を過ごしている。



『ハッシュ!』©2001 SIGLO


 そんなふたりが、ある雨の日、蕎麦屋で朝子(片岡礼子)という“変な女”に出会う。ビニール傘を盗まれてブチ切れている朝子に、勝裕はそっと自分の傘を差し出す。その時に“何か”を感じた朝子は、後日、勝裕の勤め先に訪ねてくる(「村下土木研究所」という会社。社内に設けられたプールに浮かぶボートに勝裕が乗っている光景を見て、朝子が「なんか怪獣映画みたいだね」と呟くのが可笑しい)。そして彼女は勝裕と直也がゲイカップルと知ったうえで、突然こう申し出るのだ――「私、子供が欲しいの」。


 実はこの3人は、橋口自身がオランダで出会った“現実の家族”が大きなヒントになっている。1996年、雑誌「SWITCH」の取材でアムステルダムを訪れた橋口は、自らの希望でゲイカップルと一人の女性が子供を育てている家庭を取材した。そのレポートは「SWITCH」1996年7月号に掲載されている(「つかみとる“性”“家族”」)。記事の中でマールさんと紹介されている女性は、実際朝子のようにゲイの友人たちに自分との子供を持つことを提案した。そこから紆余曲折ありながらも、やがて3人はドーラちゃんという女の子の赤ちゃんを迎え入れる。そして取材を終えた時、マールさんは橋口にこう言ったらしい。


「あなたもいい父親になれる目をしてるわ」


 このマールさんの一言が、朝子が勝裕に向けて言う台詞「(あなたは)父親になれる目をしていると思った」となり、『ハッシュ!』の核心を形作った。政治的イデオロギーでも制度でもなく、直感で「あなた」と指し示される関係性。誰かの妻といった役割でもなく、血のつながりにも縛られない“オリジナルな家族の作り方”。橋口は、先述のレポート記事も所収されている2004年刊行の著書「無限の荒野で君と出会う日」(情報センター出版局)の中でこう書いている。


「人とつながろうとするのは命がけの行為に等しい。しかし、人はひとりという境界を越えていく。命をかけてでも、そこに何かあると信じるからだ。」


 『ハッシュ!』はこの“命がけの行為”を根っこに据え、等身大の都市生活者のディテールとして描いた映画である。



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