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『ハッシュ!』感情や価値観がぶつかり、跳ね返る。橋口流「ピンボールコメディ」の真髄

©2001 SIGLO

『ハッシュ!』感情や価値観がぶつかり、跳ね返る。橋口流「ピンボールコメディ」の真髄

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橋口亮輔流「ピンボールコメディ」の真髄とは



 この映画の“猪突猛進”的な推進力となるのは、片岡礼子演じる朝子だ。歯科技工士として働く彼女は、いまや30代に入り(かつては劇団員だったことがちらりと語られる)、年下の青年マコト(沢木哲)と肉体関係にあるものの、これまで2度中絶しており、精神科への通院歴もある。投げやりな生活の中で、ついには筋層内筋腫を患い、妊娠・出産について真剣に考え始める。そしてまもなく朝子は、勝裕&直也との出会いを機に、自分の人生をもう一度前向きに作り直そうと動き出すのだ。


 勝裕は戸惑いながらも巻き込まれ、直也や家族、職場、バーの常連までが次々と感情の連鎖に飲み込まれていく。かくして物語は、ピンボールのように感情が跳ね返る喜劇へと変貌していく。このドラマツルギーを、橋口監督は「ピンボールコメディ」と自己規定している。誰かが感情をぶつければ別の感情が跳ね返り、さらに別の方向へ飛んでいく。こういった劇的運動の仕組みは、ひとりぼっちの人生だと思い込んでいた者同士が、思わぬ形でつながることができるかもしれない、という可能性を探る試行そのものだ。


 “感情の跳ね返り”を物語の推進力にする橋口の方法は、のちに『お母さんが一緒』でも応用されている。同作は、ペヤンヌマキ主宰の演劇ユニット「ブス会」が2015年に上演した同名舞台を基に、橋口監督が脚色を手がけた作品。CS放送「ホームドラマチャンネル」が制作したドラマシリーズを再編集して映画化したものだ。橋口は三姉妹が織り成す感情の運動を物語の中心に据え、企画作品でも自身の「ピンボールコメディ」の手つきを豊かに活かしている。


 また「ピンボール」は感情の発露だけでなく、より本質的な価値観の衝突としても機能する。『ハッシュ!』でそれが象徴的に全面展開されるのは、名手・上野彰吾(『渚のシンドバッド』以降の橋口組を支える撮影監督)による圧巻の長回し撮影で捉えた名高いクライマックスシーン――主要人物たちが直也のリビングの部屋で一堂に会する後半の場面である。勝裕の義姉・栗田容子(秋野暢子)は、旧来的な日本の家族観の抑圧を受けて生きてきた女性だ。見合い結婚、跡継ぎのプレッシャー、夫婦仲の冷え込み。彼女は伝統的価値観の痛みを体現する存在であり、一方、そこにはたまたま本人のがむしゃらな希求として“進歩的”な価値観を体現しようとしている朝子がいる。この「朝子 vs 容子」の壮絶な修羅場を、橋口はあくまでニュートラルな視座で見つめ続ける。進歩的な価値観が単純に勝つわけでも、旧来的な生き方が無碍に否定されるわけでもなく、むしろ容子の痛みやジレンマが鮮明に浮かび上がる。価値観がぶつかり、跳ね返り、別の方向へ飛んでいく――その運動こそが橋口流「ピンボールコメディ」の本質であり真髄なのだろう。



『ハッシュ!』©2001 SIGLO


 キャストの顔ぶれも、橋口映画の“場”の豊かさを象徴している。勝裕役の田辺誠一は、『二十才の微熱』の頃に一度主役オファーを受けながら、当時は実現できなかった経緯があり、橋口にとって“ようやく会えた”存在だ。直也役の高橋和也は『渚のシンドバッド』で音楽を担当して以来の付き合いであり、朝子役の片岡礼子は『二十才の微熱』がスクリーンデビュー。ちなみにプライベートでの片岡は98年に結婚、99年に出産を経験し、『ハッシュ!』の撮影時は一児の母親であった。


 脇を固める俳優陣も豪華だ。勝裕への恋心を一方的に激しく燃やす会社の同僚エミ役を怪演したつぐみは、塩田明彦監督の『月光の囁き』(99)で多数の新人賞に輝いたばかりの頃。毒舌キャラの陽気なゲイ仲間ユウジ役を、ハイテンションで爆演する山中聡も最高。また、ドルチェ&ガッバーナの白いダウンを着た富裕層の夫人役の深浦加奈子(2008年逝去)と、彼女に気に入られようとしているペットショップ店長役の斎藤洋介(2020年逝去)らのコミカルなやり取りもたまらなく愉快だ。


 さらにチョイ役やワンシーン出演のキャストも見逃せない。例えば、やる気のない蕎麦屋の店員として登場する加瀬亮。当時、まだ浅野忠信の付き人を務めていた加瀬は、『ハッシュ!』のリハーサルを毎日見学しており、「どんな役でもいいから出演させて欲しい」と申し出てこの役を得た。そして数年後、『ぐるりのこと。』では連続殺人犯・宮﨑勤をモデルとした異様な大役を務める。『ハッシュ!』で勝裕の同僚のひとりを演じた佐藤二朗も、続けて『ぐるりのこと。』に抜擢。のちに『トイレのピエタ』(15)や『エゴイスト』(22)などを監督する松永大司も、ヒロ(岡安泰樹)のカレシ役で序盤にワンカットだけ姿を見せる。なお、松永は橋口の中編『サンライズ・サンセット』(13)と『ゼンタイ』(13)では助監督を務めている。




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