2026.10.15
システムを撃つための、システムの弾
もうひとつ、この映画が突きつけてくるのが「システム」だ。本作の当初のタイトルは、『Blah, Blah, Blah(ペラペラ、ペラペラ)』。イニャリトゥいわく、人間が持つ最も恐ろしい武器、つまり「言葉」のことだという。
ディガーは、まさにその武器の達人だ。議場での10分におよぶ大演説で、彼は大災害の責任をあっさり認めてみせる。ただし、自分は世界中の需要に応えてきただけだ、と付け加えて。すると議場は彼を責めるどころか、議員同士の罵り合いを始めてしまう。「みんなが悪い」を、いつの間にか「だから誰も悪くない」にすり替える。たったひと言で、責められるべき相手が消えてしまう。
この約10分間を、ルベツキのカメラはカットを割らずに捉え続ける。編集という逃げ場を奪われた観客は、議員たちと同じ部屋に閉じ込められ、ディガーの言葉を浴び続けるしかない。命がけのスタントで知られるクルーズが、ここでは言葉と呼吸だけで綱渡りをしてみせる。言葉の暴力を、撮影と演技の両面から体感させる場面だ。

『DIGGER/ディガー』© 2026 WBEI and Legendary
イニャリトゥはこの演説についてこう語っている。「ディガーのスピーチを通して伝えようとしているのは、私たち全員がこの狂気の一部なのだということです。善人も悪人もいない。システムが私たち全員を罠にかけており、私たちは一緒にその抜け道を見つけなければならないのです」(*4)。
ディガーの言い分は、もちろん責任逃れだ。だが厄介なことに、まるっきりの嘘でもない。石油を求め、燃やし、その恩恵にあずかってきたのは、ほかならぬ我々自身でもあるからだ。だから議員たちは反論できず、互いを罵り合うしかない。そしてその居心地の悪さは、スクリーンのこちら側にもそのまま跳ね返ってくる。イニャリトゥの言う「全員がこの狂気の一部」とは、まさにこのことだろう。悪人をひとり吊るし上げて溜飲を下げる。そんな安易な結末を許さないために、この映画は悪役に真実を語らせるのだ。
そしてシステムは、人を救いもする。リハーサルの合間、娘の乗った飛行機がハリケーンに巻き込まれて行方不明になったという知らせが、カーティスのもとに届く。手を差し伸べたのは、元凶ディガーの甥ケニー。彼は自らの情報網を使って、娘を探し出す。災厄を招いた一族の富と力が、災厄に巻き込まれた娘を救い、一族の罪を告発する舞台まで支えているのだ。
考えてみれば、ケニーの立場は、この映画の作り手たちとよく似ている。強欲な資本を告発する風刺劇は、ハリウッドメジャーの莫大な資本がなければ作れなかった。しかも主演は、天下のトム・クルーズ。ハリウッドというシステムが生んだ最大のスターであり、ある意味ではシステムそのものと言っていい。システムを撃つにも、システムの弾が要る。作品はその共犯関係を、隠そうともしない。