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『ヒューゴの不思議な発明』 オートマトン(自動人形)の謎と幸福なフィナーレ

『ヒューゴの不思議な発明』 オートマトン(自動人形)の謎と幸福なフィナーレ


メリエスとオートマトンの関係



 だが、本作で描かれたメリエスとオートマトンの関係については、戸惑いを感じた人もいたのではないだろうか。セルズニックは、ゲイビー・ウッドの書いた「 生きている人形」(*2)という書籍を元ネタにして、複数の実在した人物のエピソードを合成している。


 その1人は、18世紀スイスの時計職人 アンリ・メイヤルデだ。彼は時計を作る傍ら、極めて精巧なオートマトンを作っていた。彼が手掛けた、フランス語と英語で3つの詩を書き、4種類の絵も描く“ ドラフトマン=ライター”は、オートマトンの傑作と言われている。


 2人目は、18世紀の発明家のヴォルフガング・フォン・ケンペレンである。彼はオーストリアの上級官吏だったが、1770年にマリア・テレジア大公を喜ばせるため、チェスをするオートマトンの ターク(トルコ人)(*3)を発明した。 このタークは、実際は中に人間が入り(*4)、 パンタグラフ機構を用いて操作していたと言われているが、その名前はオートマトンの歴史に名を残すほど有名になった。


 ケンペレンの死後、タークは複数の所有者の元を転々とし、1840年にジョン・カースリー=ミッチェルという医者がフィラデルフィアの チャイニーズ博物館(*5)に寄贈する。だが人気が集まらなく、やがて裏の階段横に置かれたままになり、次第に人々はその存在を忘れていった。奇しくもこの博物館には、メイヤルデのドラフトマン=ライターも置かれていた。


 そして1854年に、チェスナット・ストリートの国立劇場で火災が起こり、チャイニーズ博物館まで燃え広がってタークは焼失してしまった。ドラフトマン=ライターは燃え残ったもののダメージは大きく、動かないまま年月が過ぎていく。やがて1928年にフィラデルフィアの フランクリン科学博物館に寄贈され、学芸員のチャールズ・ロバーツによって修復された。


 もちろん『ヒューゴ…』のストーリーに、ドラフトマン=ライターやタークが直接反映されているわけではない。だがこのエピソードは、劇中でヒューゴの父親が博物館の火災で焼け死ぬという設定に反映されている。



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 3人目は、近代奇術の父と呼ばれる ロベール=ウーダン(*6)だ。彼は時計職人として青年期を送り、その経験を活かしていくつかの精巧なオートマトンを作成した。そして、これらと奇術を組み合わせたショーを行う専用劇場もオープンさせる。彼自身は1856年にマジシャンを引退しているが、その後このロベール=ウーダン劇場で奇術の修行に励んだのが、若き日のメリエスだったのである。


 1888年にメリエスは、父親が経営していた靴会社の相続分を兄に売却し、その金でロベール=ウーダン劇場を買い取った。そこには舞台の仕掛けや、10体のオートマトンも残されていたことから、これらを修復して新装オープンさせている。つまりメリエスは、自分で一からオートマトンを組み立てることはなかったが、これを修理する技術を習得したことで、後に映画カメラ(*7)を改造する知識として役立てて行った。


 そしてメリエスが修復し、舞台で使っていたロベール=ウーダンのオートマトンは、彼の引退後に 国立技術博物館(現・工芸技術博物館)に寄贈された。しかし、一切展示されることなく屋根裏部屋に仕舞われたままになり、やがて雨漏りで天井が崩れ、オートマトンは全て壊れてしまった。この事実も、『ヒューゴ…』のストーリーの重要なモチーフになっている。


*2 メリエスを接点として、オートマトンと映画史をリンクさせるアイデアは、この本による所が大きい。またゲイビー・ウッドは、第一次世界大戦がメリエスに与えた深刻な影響についても触れている。


*3 タークはトリックを用いていたが、ケンペレンは しゃべる機械を実際に発明している。タークにも「エシェック」(王手)という言葉を発する装置が取り付けられており、火災で燃える際にこの声を繰り返していたそうだ。


*4 タークの中に入っている人の想像図は、『ヒューゴ…』のBlu-rayの特典映像にも登場する。中の人がタークに直接腕を入れている図は、ロバート・ウィリスの説を1826年にガマリエル・ブラッドフォードが描いたものだ。だが、この説は誤りだったと判明しており、1857年にサイラス・ウィアー・ミッチェルによって、複雑な パンタグラフ機構を用いていたことが明らかにされた。


*5 画家・博物学者の チャールズ・ウィルソン・ピールが設立した博物館。


*6 このロベール=ウーダンにあやかって芸名をいただいたのが、映画『魔術の恋』(53)や『奇術師フーディーニ~妖しき幻想~』(08)でも知られる、脱出マジックの名手ハリー・フーディーニである。つまりウーダン(Houdin)を英語読みし、ラテン語の男性名詞属格のように最後にiを付けてHoudiniとしたのだ。ちなみに世界のCGプロダクションで、エフェクトアニメーション用に広く用いられているソフトウェアの名称も、Houdini(Side Effects Software社製)である。


*7 劇中では、リュミエール兄弟が「シネマトグラフ」(映写機とカメラは兼用)を売ってくれなかったため、メリエスに「結局、自分でカメラを作った。機械人形の部品の余りを使って」と言わせている。実際は、まず1895年に英国のロバート・W・ポールから映写専用機「アニマトグラフ」を購入し、カメラに関してはエミール・ヴォワザンの弟子だったイゾラ兄弟の協力を得ている。彼らは、シネマトグラフを見た4日後に映写機を作り上げたほど機械に詳しかった。


 ちなみにエミール・ヴォワザンは、奇術道具やオートマトンの制作者として有名だったアンドレ・ヴォワザンの孫で、祖父が作った店を引き継いでこれらを販売していた。また自らマジシャンとして舞台に立ち、後進の育成にも熱心だった。実際にメリエスも、彼から奇術の手ほどきを受けている。


 メリエスは、イゾラ兄弟の「イゾラトグラフ」とアニマトグラフを融合させ、「キネトグラフ」というカメラ兼映写機を組み立てている。ただしメリエスは忙しかったため、リュシアン・コルスタンとリュシアン・ルロという技術者を雇って1896年に完成させた。ただ使い勝手はイマイチだったため、1897年にゴーモン、リュミエール、パテらからカメラを購入している。



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