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『エル ELLE』原作者フィリップ・ジャンが生み出す強烈な女性像に、ヴァーホーヴェンとユペールはどうアプローチしたのか?
ヴァーホーヴェンとユペールは原作の何を変えたのか?
前述のように、映画版『エル ELLE』の大半は原作に忠実に脚色されている。大きな違いは、ミシェルの職業が映像プロダクションの経営者からビデオゲーム会社の社長になったことと、映画版では母親への執着が薄れていることか。職業の変更は、ハリウッドで映画化した場合によくある業界内幕ものに見えるのを避けるためだったという。おかげでエロゲーという要素が加わり、「女性の搾取」というテーマがより多層的になる効果をもたらしている。
しかし映画版では、もっと根本的なニュアンスが変わっている。小説のミシェルはより迷いが多く、状況に流されやすい弱い人物だ。一方映画版のミシェルは、自覚的に他人をコントロールし、常に毅然としていて、弱さをさらけ出すことがほとんどない。ヴァーホーヴェンはインタビューで「ユペールの役作りや演技には一切口を出していない」と再三語っており、映画版のミシェルの腹が座った居住まいはユペール側の演技プランだったのかも知れない。
小説版では一貫してミシェルの一人称で書かれているので、映画版のように「主人公が何を考えているかわからない」という感想はほぼ生まれないだろう。ミシェルの心情を探るテキストとして原作を読むことも不可能ではないが、表層的な行動はほとんど同じでも、イザベル・ユペールの演技は一義的な解釈をはねつけるほど超然としている。心情を描く小説と、事象を描く映画。その点でこのふたつの『エル ELLE』はまったく違う作品なのである。
フィリップの妻レベッカのカトリック信仰への傾倒は原作にもあるが、信仰心の厚いレベッカの偽善は、現世における宗教問題への皮肉でもある。またミシェルがレイプ犯にハサミで反撃するシーンで、ハサミは悪魔祓いの十字架のように撮られている。様々なレベルで「善と悪と戦い」が繰り広げられ、正邪の境目が曖昧なのは過去作とも共通するヴァーホーヴェンらしいアプローチだ。
そしてこの映画は、ミシェルの成長物語でもある。ミシェルの「もう嘘はつきたくない」という決意は、惨事を引き起こす。結局は罪悪感や正義心から自分のエゴを通すより、フェイクでも構わないから調和や平穏を望む人物に変わったと言える。それが正しい選択なのか、ただのまやかしだと考えるかは観客次第である。
文:
村山章
1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。
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※2017年9月記事掲載時の情報です。