名匠アンソニー・ミンゲラが、密かにもたらしたもの
原作者のイアン・マキューアンは本作について「非常に内面的な小説」だと語り、ジョー・ライトも「登場人物の内面をいかに描くか、その方法を見つけ出すことが何よりも重要だった」と打ち明けている。その上、脚本を構築する過程では、親交のあった映画監督のアンソニー・ミンゲラにも読んでもらい、様々なアドバイスをもらっていたのだとか。
ミンゲラといえば、本作と同様、「戦争」と「愛」と「物語ること」の妙味を盛り込んだ『イングリッシュ・ペイシェント』(96)でアカデミー賞の作品賞と監督賞を含む9部門のオスカーに輝いた名匠だ。ライトが『つぐない』と格闘していた時期は、ミンゲラがBFI(英国映画協会)の会長を務めた時期とも重なる。おそらく彼は常日頃から、こうやってあらゆる世代の映画人達を様々な形で支援していたのだろう。
この時、18歳年上のミンゲラとのひと時は、さながら映画術のマスター・コースのようだったという。彼は目を通した脚本についてジョー・ライトに容赦ない質問を投げかけた。時には難解な質問、そして挑発的な質問もあった。しかしこの時のやりとりのおかげで、ライトは自分が何を大切にして映画化すべきなのか、より明確に理解することができたのだそうだ。
『つぐない』Film (C) 2007 Universal Studios. All Rights Reserved.
ミンゲラとの関わりはそれだけでは終わらなかった。彼は映画のクライマックス、「主人公ブライオニーの内面を解き明かす」という役柄にて、本作に出演を果たしているのである。
おそらく一度の鑑賞で彼の存在に気づく人はほとんどいないだろう。それほどのささやかな出演でありながら、しかし極めて重要な役だ。このシリアスなシーンに張り詰めた緊張感たるや相当なものだったはず。だが、これまで数々の現場を経験してきた名匠ミンゲラがそこにいることで、スタッフやキャストの間に言いしれぬ安心感や信頼感が生まれたことは想像に難くない。
それから2年も経たないうちに、名匠アンソニー・ミンゲラは急逝した。享年54歳というあまりにも早すぎる死だった。こうして陰ながら尽力した彼の思い出や記憶さえも包み込みながら、『つぐない』という映画はまた一つ、静かな深みを帯びていくかのようだ。