ダルトン・トランボとイアン・マクレラン・ハンター
同行したのは、同じくリベラル派の俳優、グレゴリー・ペックやエディ・アルバートたちだ。注目すべきは、ワイラーが携えていた脚本である。アカデミー最優秀原案賞(1957年のアカデミー賞まで存在した部門)に輝いたその脚本は、アメリカ下院非米活動委員会の公聴会で、共産党員か否かの質問に対し証言を拒否した主要な10人、"ハリウッド・テン"の1人、ダルトン・トランボによるものだった。
しかし、トランボは上記のような理由から実名で脚本を書くことは許されず、代わって、当時、トランボの"フロント"(名義貸し)を務めていた同業の友人、イアン・マクレラン・ハンターの名前が脚本家欄に記された。勿論、ワイラーはそんな裏事情を承知していた。彼が何よりもローマで実現したかったのは、才能ある脚本家の秘かな救済だったのかもしれない。
実は、ハンターのような"フロント"にスポットを当てた映画がある。その名もズバリ『ウディ・アレンのザ・フロント』(76)だ。また、『真実の瞬間』(91)、『マジェスティック』(01)など、”赤狩り"に揺れる50年代ハリウッドの空気感をすくい取った作品も何作かある。