ラジー賞なんてクソくらえ!
エド・ウッドに「最低監督賞」を冠した「ゴールデン・ターキー賞」は、その趣旨を「ゴールデン・ラズベリー賞(ラジー賞)」に継承したと言えるだろう。
大金を掛けてスベった映画。話題だけで実が伴わなかった映画などを槍玉に挙げて、笑いのめそうという下世話な志が人気のイベントである。
しかし、過去の受賞作品には『ランボー/怒りの脱出』(85)や『レディ・イン・ザ・ウォーター』(06)までも、その槍玉に上がっている。それぞれ公開当時には「バカにしていい」雰囲気を纏っていた。しかし、今ではそれぞれファンの多い傑作である。「ゴールデン・ラズベリー賞」とは映画の持つ普遍的な魅力に気づけない凡庸な人々が時勢に流され、イジメて良い文脈を探り出して叩きのめす、醜い集団心理に他ならない。
『レディ・イン・ザ・ウォーター』予告
映画の評価とは絶対的なものでは無い。時勢や文脈に対し相対的に出されるものである。
エド・ウッドで言えば、ネットでよく取り沙汰される『死霊の盆踊り』(65)でさえ、60年代の時勢を鑑み、バーレスク映画/ヌーディスト映画の文脈で観れば、ちょっとエッチな気持ちになりつつ、愉快なコスチュームやタガの外れた設定が楽しい映画である。
映画をバカにするのは楽しい行為だ。しかし、指を指して笑った作品は本当に、その嘲笑に値するものだろうか?
時勢は必ず移り変わる。別の文脈は必ず存在する。指を指した自分自身が笑われてる可能性は絶対になくならない。映画を評すること、特にバカにする時はそんな時限爆弾が仕掛けられているものだ。
用心せよ。くれぐれも、用心するのだ。
参考文献
『映画秘宝 エド・ウッドとサイテー映画の世界』(洋泉社、1995年)
『エド・ウッド 史上最低の映画監督』(早川書房、1995年)
『ティム・バートン―期待の映像作家シリーズ』 (キネ旬ムック―フィルムメーカーズ、2000年)
文: 侍功夫
本業デザイナー、兼業映画ライター。日本でのインド映画高揚に尽力中。
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