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『ファンダンゴ』エルトン・ジョン、スピルバーグ、そしてチェッカーズとの意外な関係とは

『ファンダンゴ』エルトン・ジョン、スピルバーグ、そしてチェッカーズとの意外な関係とは


『ファンダンゴ』と川島透、そしてチェッカーズ



 ここで重要なのは、 <フジテレビ+ニッポン放送提供> という点。『ファンダンゴ』はフジテレビとニッポン放送にとって、初めて手掛けた洋画配給作品だったのである。しかし、スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮から降り、興行的にも当たらなかったような作品を、なぜ配給することになったのか? そこには、当時フジテレビが製作していた映画『チ・ン・ピ・ラ』(84)や『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』(85)をヒットさせた、川島透監督の存在が欠かせない。


 1985年5月8日に開催された第38回カンヌ国際映画祭。川島透監督は、映画のヒットを労う意味でフジテレビから映画祭に招待されていた。ここで上映され、会食の場で「スピルバーグの会社が作った最初の作品」としてアジアの監督たちの間で話題となっていた映画こそが『ファンダンゴ』だったのだ。そして、スケジュールの合わないフジテレビ関係者の代わりに、この映画を観た人物が何を隠そう、川島透監督だった。




 『ファンダンゴ』を観た川島透監督は「今回いろいろ観た映画の中で一番気に入った!」と興奮気味に感想を伝え、日本で上映すべきだと提言。日本の配給業者が誰も関心を示さない中、フジテレビ側も「どうにかして、この映画を日本の若者に観せたい」との想いから英断を下し、当時としては珍しい“テレビ局が配給するハリウッド映画”となったのである。


 この一連の流れを、藤井フミヤさんと対談する機会を得た際、感謝の気持ちを込めてお伝えしたことがある。それは、「チェッカーズのボーカルとして藤井さんが主演した『CHECKERS IN TAN TANたぬき』の存在がなければ、我が人生のベスト映画である『ファンダンゴ』の日本公開はあり得なかった!」と長年思っていたからだ。『ファンダンゴ』について、藤井さんは「観たことがあるはずだけれど、よくは覚えていないな」と語りつつも、筆者が持参したDVDのジャケットを眺めながら「どうもこれは無関係という訳ではなさそうだね」とジェケットに映り込んだキャデラックを指さした。『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』のラストで印象的に登場するピンクのキャデラックは、偶然にも『ファンダンゴ』と同じ車種だったからである。


 そして、川島透監督は『ファンダンゴ』を観た1985年の年末に正月映画として公開された、薬師丸ひろ子主演の『野蛮人のように』(85)を監督。この映画には、どこか『ファンダンゴ』の花火場面を想起させるような、花火場面を確認できる。



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