スケアクロウ / ラーズ・アル・グール / ベイン
・スケアクロウ
スケアクロウにまつわるお話には以前この連載でも触れたが、改めて、恐怖症を研究する精神科医ジョナサン・クレーンが、解雇された大学への逆恨みから犯罪者となった姿である。恐怖やトラウマに繋がりの深いキャラクターであり、クレーンという名前もアメリカの有名な怪談のひとつ「スリーピー・ホロウの伝説」に登場するイカボッド・クレーンからの引用である。ヒューゴ・ストレンジやリドラーと同じ知能派のヴィランであり、心理的な攻撃を仕掛けてくるとともに、恐ろしい幻覚やトラウマを呼び起こさせる恐怖ガスを使ってバットマンに襲いかかる。両親を殺されたトラウマがバットマン覚醒へのきっかけとなっているブルース・ウェインにとって、恐怖を操るスケアクロウもまた強敵のひとりである。
映画ではクリストファー・ノーラン監督による三部作に一貫して登場、キリアン・マーフィーが好演した。コミック世界を極力現実的なモチーフで表現するノーラン版のスケアクロウは、ズタ袋に目穴だけ開けたようなマスク(武器として使う恐怖ガスから自分を守るための機能がある)を頭にだけかぶり、首から下は普通のスーツという出立ちで、かえって不気味さや異常さがよく出ていた。『バットマン ビギンズ』に登場した当初は整った髪型に眼鏡をかけた落ち着き払っていたクレーンも、展開とともに豹変していき、バットマンに恐怖ガスを吸わされたことで自身も正気を失ってしまう。
・ラーズ・アル・グール
テロリスト集団リーグ・オブ・アサシンを率いるラーズ・アル・グールは、優れた頭脳と武術に通じた高い身体能力、巨万の富を持つ点ではバットマンと共通するが、決定的に違うのは不死身であるということ。ラザラス・ピットと呼ばれる秘泉に浸かることで傷を癒し、死からも復活を遂げるラーズ・アル・グールは、何世紀も生き続けており、つねに歴史の影で暗躍してきた。その最大の目的は世界を浄化して均衡を保つことであり、様々な方法で大量殺戮を企む。バットマンとの関係は彼と娘のタリアが恋仲となったことから始まり、当初は彼を自分の後継者として育てようとしたが、前述のような目的のために対立し、宿敵となる。
映画では、『バットマン ビギンズ』と『ダークナイト ライジング』に影の同盟と呼ばれるテロ集団の首領として登場し、ノーラン版シリーズの黒幕と言える。初めてブルースの前に姿を現した際は渡辺謙扮する謎めいた東洋の僧侶のようなスタイルだったが、これはカモフラージュと影武者であり、本当のラーズ・アル・グールはリーアム・ニーソンが演じる部下の方だったことが明らかになる。ここでのラーズ・アル・グールは象徴的な存在であり、常に影武者が表向きの顔としてその役割を引き継ぐことで、ノーラン版の現実的な世界観でも不死身性を再現している。
・ベイン
ベインはバットマンを最も肉体的に追い詰めたヴィランである。幼少から刑務所で過ごすことを強いられてきた彼は、危険な筋肉増強剤の被験者となることで最強の肉体を手に入れる。刑務所を脱獄してゴッサムにやってきた彼は、バットマンを自分が繰り返し見る悪夢の象徴と結びつけ、その打倒を目論んでいた。巧みな戦術でバットマンを追い詰めたベインは、ついにその背骨を折ってしまうのだった。
戦前から続くバットマン史おいて1993年に初登場という比較的新しいキャラクターであるにも関わらず、ベインがすぐに代表的なヴィランとして不動の地位を獲得したのは、やはりバットマンの背骨を折って引退させてしまうというこの強烈な一撃のためだろう。映画にはすでに二度登場しているが、最初に登場した『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』が1997年の映画であることを考えると、コミックでの初登場からたった4年ほどでスクリーンデビューを果たしたことになる。演じたのはプロレスラーの故ロバート・スウェンソン(映画公開のおよそ2ヶ月後に心不全で亡くなった)。本作ではポイズン・アイビーの用心棒を務め、筋肉増強剤もアイビーによる植物由来だったため、ベインの肌も緑色だった。続いて『ダークナイト・ライジング』ではトム・ハーディが専用のガスマスクを付けて演じ、バットマンの背骨にダメージを与えるシーンが再現された。敗北したブルース・ウェインが文字通り地の底から這い上がって復活する様が物語の山場でもあった。この映画でベインが吸引するのは増強剤ではなく古傷を癒すための鎮痛剤であり、最終的にダークナイトは鎮痛剤吸引のためのマスクを殴って損傷させることでベインを衰弱させた(コミックでも増強剤を脳に送り込むチューブが切断されたことで敗北する)。
ベインはバットマン同様ラーズ・アル・グールの後継者候補でもあったが、やはりバットマン同様師と決別し、敵対するようになる。ダークナイト三部作のとりを飾るヴィランがベインだったのも、この三部作においてラーズ・アル・グールが起点となっているからだろう。兄弟子ベインの登場はバットマンにとってルーツへの帰還でもあったのだ。
ゴッサムの犯罪者たちはもちろんこれだけではない。まだまだバットマンを苦しめるヴィランたちは数多くいて、そのスタイルは様々だが、どのキャラクターもダークでほとんどが狂気じみている。しかし、狂っているのはバットマンも同じではないだろうか。犯罪を憎んでその撲滅に執着し、悪党たちが恐れる恐怖の象徴になるためコウモリの衣装に身を包む。その特徴はここまで挙げてきた怪人たちとそう変わらないはずだ。ぼくがゴッサムの世界観を好きなのは、そこにいるのがヒーローも含めて全員怪人だからである。夜毎怪人たちが戦いを繰り広げるゴッサム・シティは、まさにDC(ディテクティブ・コミック=探偵漫画)の名にふさわしいミステリアスな世界観なのだ。
イラスト・文:川原瑞丸
1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵のほかに映画や本のイラストコラムなど。「SPUR」(集英社)で新作映画レビュー連載中。