三島由紀夫のイメージを覆す驚きの映像
Q:三島由紀夫だと60代、70代の人は当然のように知っているけど、20代、30代の人はほとんど知らない。作品で当時の状況をどこまで説明するのかは、迷われたのではないのかと思うのですが。
豊島:想定した観客は自分でしたね。つまり、自分も分からなかったから。議論の内容も分からなったし、三島のイメージも断片的にしか知らないので、僕が知って面白かったことを全部作品にのっけようと思ったんですね。そうやって編集すると最初は3時間もあるバージョンになったんです。
刀根さんと「とにかくこれは討論会を見せるものであって、三島の人生を見せるものではないし、楯の会(※注)を説明するものでもない。この討論会がどうしたら輝くか」ということにして、腹をくくってズバッと切って、今の形になりました。
※「楯の会」:日本の防衛、文化の擁護を目的とし三島由紀夫が結成した組織。会員は自衛隊への体験入隊で軍事訓練も受けていた。
刀根:本当は世に出せれば、3時間バージョンも間違いなく面白いんですけど。
豊島:間違いなく面白いですよね。ただ3時間版は、討論がここまで面白くないんですよ。むしろ他の話に広がっていっちゃうんです。
Q:三島由紀夫は、市ヶ谷での割腹自殺のイメージが強いと思います。やはり一途で「怖い人」という印象を持っていましたが、本作を見ると180度まで行かなくても、相当印象が変わりました。監督の中でも三島へのイメージは変わったんじゃないですか?
豊島:当時を知っている人には「三島は嫌い」という人が多い気がして、特に女性が。「いやよ!あんな毛むくじゃらのナルシスト」みたいな人が多い中で、そういう人たちが見たら「えっ」と思うんじゃないかなって、思いましたね。
討論を見ていくと、全共闘や楯の会、平凡パンチの編集者や文壇に対しても、全方向に真摯で嘘がない対応をしている三島像が見えてきた気がしました。でも結局分かろうとして知れば知るほど、また分からなくなる。全てが本当の顔だけど、いろんな面があるみたいな風に見えてきて。だからこそ、三島が自死を選んだ謎を、みんな解けないんだっていう気がしましたね。
Q:討論の内容はとても観念的で難解ですが、見ているとつい引き込まれる。不思議な感じです。
刀根:野球の試合で例えると、どっちが勝ったとかではない。一つ一つのプレーが美しい感じですね。
豊島:ああ、そうね。
刀根:球を投げる前がかっこよかったりっていう。やっぱり真剣に向き合って、高度なレベルで知の戦いをしているからこその楽しさと言うか。それがエンタテインメントになっているというのが三島の魅力だし、対峙する東大全共闘の皆さんの若さとパワーもありますよね。
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豊島:編集作業の中で象徴的なことがありました。討論の内容が「エロティシズム」に至るあたり、かなり難解じゃないですか。あと芥さん(※注)が自分の演説をダーッとしているところだとか。短縮しても意味が伝わると思ったので、僕は切ろうと思ってたんですよね。だけど、刀根さんは止める訳ですよ。「生きて動いて喋っている三島を、こんなワンカットの持続で見せる映像はこの世の中のどこにも無いんだ」と。「とにかく自分は1ミリも飽きないし、持続で見せるべきだ」と。刀根さんの意見を受けて、切るのをやめたのですが、多分それが正解でした。
映画が完成して、作中でインタビューした全共闘や楯の会の人に試写で見てもらった時に、どんなお叱りを受けるんだろうかとドキドキしていたんですよ。で、劇場の外で待っていたら、みんな出てきて一様に興奮しているわけです。「ありがとう、あの討論をこんな形で残してくれて」とか。楯の会の人も「いま初めて意味がわかりました」とか。
その時に「編集の内容とか解釈というよりは、生きて動いている三島由紀夫に、この人たちは50年ぶりに再会したんだ」っていうのがわかったんです。意味が分からなくても持続して三島を見続けるっていう体験こそが大切なんだと。討論の意味を解釈しようと思うと大変だと思うんですけど、生きている三島を見つめるドキュメントだと捉えると、作品の方向性が見えましたね。
※注「芥さん」:芥正彦。元東大全共闘。生まれて間もない長女を抱いて討論会に参加。現在、演出、劇作、舞踏、アートパフォーマーとして活躍。
Q:三島由紀夫の一挙手一投足、ちょっとした表情の変化が面白いですよね。
豊島:カメラワークもいいんですよね。三島を撮っていると、会場の笑いが聞こえて、なんだろう?と思ったら、芥さんと三島が壇上でタバコの交換をしている(笑)。