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絵に描いた映画としての『アイアン・ジャイアント』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.44】

絵に描いた映画としての『アイアン・ジャイアント』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.44】

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実は結構写実的なアニメだった





 久しぶりに見返してみて気付いたのは、人物キャラクターたちのリアルさである。一見ディズニー作品等にも近いトーンのアメリカのアニメらしさを感じるのだが、本作のキャラクターたちはアニメにしては全体的にテンションが低い気がする。確かにある程度戯画化、デフォルメや誇張はされているのだが、極端な体型だったり、大袈裟な身振り手振りという、わかりやすさがあまり見られない。なにより顕著なのは声の演技で、作ったような声音やテンションの高さがなく、皆一様に普通のしゃべり方で演技にのぞんでいるような印象。つまり普通の映画での演技なのだ。


 これはキャラクターのデザインにも表れているようで、特にメイン・キャラクターのうちのふたり、ディーン・マッコーピンとケント・マンズリーはそれぞれ声を当てたハリー・コニック・Jrとクリストファー・マクドナルド(『フラバー』でもロビン・ウィリアムズの敵役だった)になんとなく顔が似ている。


 ディーンはスクラップ置き場を経営しながら廃材でアートを作るちょっと変なおじさんなのだが、なかなかかっこいい。ジャイアントが鉄を食べるということから、スクラップ置き場に匿い、ホーガースと巨大ロボットの秘密を共有するようになるが、父親を亡くしたホーガースにとっては久しくいなかった頼れる大人の男性であり、父のようでも兄のようでもあるところがいい。


 夜半ディーンの家で初めてコーヒーを飲んで興奮したホーガースが、溜まりに溜まった日々の不満をぶちまけるシーンが好きだ。話を聞いてくれる親以外の大人というのは、先輩とも友人とも違う、不思議な距離感と親しみがある。ディーンが見せる豊かかつ人間味あふれる表情がまたいい。


 ケントは飛来物体の通報を受けて港町にやってきた政府の捜査官だが、ホーガースが出会った巨大ロボットの存在を知るや否や、それを東側の兵器であると結論づけてなんとしても排除しようと躍起になる。ともすれば脅威に敏感で、ややヒステリックに騒ぎ立てているようにも見えるが(アニメではそれがやや滑稽に見えるよう演出されているが)、スプートニク1号打ち上げ直後、いわゆるスプートニク・ショックの真っ只中にあっては無理もないだろう。ソ連の人工衛星がアメリカに先んじて地球の衛星軌道を周回している。それは当時のアメリカ人にとっては敵に制空権より高い位置にあるものを取られたようなものだったに違いなく、ケントのキャラクターはそういった心理状態をわかりやすく形にしているのだろう。


 ホーガースを尋問してロボットの居所を聞き出そうとする際には、母子家庭の弱みをついて脅迫するといった卑劣ささえ見せるのだが、基本的に間が抜けていて悪役でありながらコミック・リリーフでもある。ディーンが見せる渋い表情に対して、ケントのそれは少し露悪さが際立って、こちらのほうがカートゥーン的ではあるが(ディーンに比べて考えていることが単純だからだろうか)、それでもやはり大口を開けて大笑いするような悪役の顔にはならず、あくまで恐怖と敵対心に取り憑かれた普通の人間という範囲での表現にとどまっている。


 いずれにせよホーガースの言葉に耳を傾け助言をくれるディーンと、ホーガース(と母アニー)に対して強権的な態度をとるケントは対照的で、父親のいない少年の前にそれは全く違うふたつの父親像を見せる。


 こうして真似て描いてみると、少ない線で人間の顔というものがよく表現されていると思う。鼻や目つき、輪郭などの特徴の誇張は最小限におさえられていて(その中でもケントは抜きん出て誇張されているが、そこもやはり彼のキャラクターのためだろう)、簡単に言えばくどくない。基本的に目が小さく描かれているのも印象的で、これが表情にリアルさを与えているのかもしれない。反対に耳は大きめに描かれているのだが、輪郭のバランスが取れるのだろうか。映画の登場人物として俳優の顔をそれなりに描いていても、やっぱり人間の顔というのは難しくて苦手なところでもあるので、こういうのはとても勉強になる。

 

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