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絵に描いた映画としての『アイアン・ジャイアント』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.44】

絵に描いた映画としての『アイアン・ジャイアント』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.44】


色あせない融合の魔法





 ジャイアントの正体や目的というのは最後まで明かされないのだが、強力な兵器であることだけは明らかになる。結局はケントの推測が正しかったわけだが、自身が何者かという記憶をなくしたジャイアントに、ホーガースは自分のなりたいものになれと語りかける。確かに武器を搭載されて生まれてきたかもしれないが(腕がレーザー砲に変形したり、そのほか装備が飛び出してくるところは元の見た目からは想像もつかず、そのギャップもおもしろいところだ)、そのあとのことは自分で選ぶことができるのだと。


 普遍的なテーマかもしれないが、それを用途があって造られているはずのロボット、しかも巨大ロボットで描いている。巨大なロボットというのは往々にして戦闘用と相場が決まっているだろうけれど、そこにこのテーマを持ってくるところが一味違う。


 ジャイアントと、それを脅威とみなした軍隊との戦いの描写はまさに特撮映画といった具合で、巨大ロボットの足下をどうせ歯が立たないであろう戦車が取り囲むところなど、怪獣映画を思わずにはいられない(そもそも冒頭の嵐の海からジャイアントのシルエットが浮かぶところからしてゴジラっぽい)。ジープや戦車、戦闘機もジャイアントと同様に「絵を貼り付けたCG」なので、動きがとにかく機敏で見応えがある。


 ほかにも兵士や武器、ジャイアントに向かって核ミサイルを発射する潜水艦内部など、ミリタリー面の描写がとにかく細かくて説得力があるが、こういったところも本作を「映画」に仕上げている特徴だろう。ほんの一瞬挿入されるホワイト・ハウスのシーンなども、牧歌的な港町での少年とロボットの交流、というようなストーリーの中にあってちょっとドキッとするくらいリアルだった。


 歩むべき道を自分で選び取るというのは、持っている力をどう使うかということでもある。ジャイアントはホーガースの持っていたコミックに描かれたスーパーマンの姿に心を奪われ(同じワーナーなのではっきり登場したのだろうけれど、コミックのカバーアートまで細かく描き込まれているのがすごい)、スクラップ置き場にあったシーフードレストランの「S」を胸につけてヒーローを夢見るが、巨大な身体に桁外れの馬力をもってすればスーパーマンにだってなれるはず(スーパーマンの別名がマン・オブ・スティール=鉄の男であることも忘れられない)。


 しかし、大きな力は人々にとって脅威にもなり得る。兵器かヒーローか。クライマックス、「本来の機能」を発動させて一度は理性を奪われたジャイアントは、ホーガースの言葉を聞いて自分の道を選ぶことになる。


 力の使い方はそのひと次第というわけでもあるのだが、本作のCGの使い方もまた当時において正しい選択だっただろう。繰り返しになるが、機械と人間の対比や、映画らしさのあるドラマチックな動きなど、平面の絵の中にCGを取り入れたからこその仕上がりだと思う。


 20年が経って技術は進み、フル3DCGのアニメーションはすっかり不動の地位を得ているが、『アイアン・ジャイアント』における融合の魔法は全く色あせることがないどころか、唯一無二の魅力さえ持ち続けていると思う。



イラスト・文:川原瑞丸

1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵のほかに映画や本のイラストコラムなど。「SPUR」(集英社)で新作映画レビュー連載中。 

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